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宮永 真幸 プロフィールへ
新しいことへのチャレンジも、その土地が持つ歴史の延長線上だと知らされることがある。

夏以降へ延期となった大樹町の民間宇宙ロケット打ち上げ。事前の見学会で、ある親子に出会った。本州から移住した上士幌町の羊農家。農場へお邪魔して取材をしていたときに父親から出てきたのが「晩成社」の話。十勝は官主導ではなく民主導で開拓された土地。その祖といわれている依田勉三が明治の時代にたちあげた会社だ。農地開拓や乳製品の開発に取り組んだが、失敗続き。しかしその挑戦があったからこそ、今の十勝がある。国内初の偉業に挑戦をつづけるインターステラ・テクノロジズの姿が重なる。
大樹町が宇宙の町をめざし本格的に動き始めたのは1985年。今から30年以上前のことだ。当時でも人口が1万人に満たない町が宇宙を目指して滑走路をつくるというのは勇気がいったと想像する。その決断がなければ今の挑戦はうまれていない。宇宙の開拓者たちは「ひとつ鍋」ならぬカップラーメンをすすりながら次の打ち上げを目指している。

北広島市に建設候補地が決まったファイターズのボールパーク。本格的な交渉は2年前だったが、今から半世紀も前にその青写真が描かれていた。昭和45年、札幌オリンピックを2年後に控え北海道のスポーツ熱が高まる中、当時の広島町はある構想を発表した。町内の山林を切り開き、運動公園をつくろうというものだ。広報誌で紹介された図面には野球場が2面、テニスコートやホッケー場に相撲場まで描かれ、広い駐車場も設計されていた。自動車保有台数が今の10分の1に満たない時代にである。
広島町は計画に基づき民有地を取得していった。その場所こそが、今の総合運動公園予定地。アジアNO.1のボールパークの候補地だ。北広島市所有の土地でなかったら交渉は順調ではなかっただろう。資料は、ボールパーク構想の過程で市職員がみつけたのだという。ここにはクラーク博士の言葉が刻まれている。そして、いま新たな「大志」を抱いている。

北海道150年。先人たちの夢への投資が、いま果実になろうとしている。100年先の未来をみすえた挑戦を、私はできているだろうか。