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東京富士美術館開館35周年秘蔵選「日本の美・百花繚乱」

見どころ

特集展示

北斎《冨嶽三十六景》、広重《東海道五拾三次》全作品を一挙公開!!
特集展示として、浮世絵の傑作として名高い葛飾北斎《冨嶽三十六景》、歌川広重《東海道五拾三次》を前期・後期に分けて、すべてをご覧いただけます。

前期《冨嶽三十六景》

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》葛飾北斎 天保元-3年頃
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》葛飾北斎 天保元-3年頃

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

眼前で激しく動く大波と波間から遥か遠くに鎮座する富士山。動と静、遠と近を対比させるような構図である。波に翻弄されているのは「押送り(おしおくり)舟」と呼ばれる舟で、伊豆や安房の方から江戸湾に入り、日本橋などの市場に鮮魚や野菜を運搬していた。千葉県木更津方面から江戸湾を望んで描いたとの説もある。
《冨嶽三十六景 凱風快晴》葛飾北斎 天保元-3年頃
《冨嶽三十六景 凱風快晴》葛飾北斎 天保元-3年頃

冨嶽三十六景 凱風快晴
凱風とは南風のこと。夏から秋にかけての晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めて輝くことがあるという。大胆にも画面いっぱいに大きくとらえられた富士が、青空を背景にまっ赤に染め上げられていく。「赤富士」とも呼ばれ、「山下白雨」「神奈川沖浪裏」とともに、冨嶽三十六景のシリーズの三役のひとつに数えられる。

後期《東海道五拾三次》

《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》歌川広重 天保4-5年
《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》歌川広重 天保4-5年

東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪
しんしんと雪が降りしきる中、山村の夜道を三人の人物が行き交う。彼らが被る笠や蓑には真っ白い雪が積もっている。人物以外を白と黒で統一した画面には、静寂に包まれた雪の夜の心細さが見事に描き出されている。現実の蒲原は温暖な気候で雪深い地域ではなく、また地形が一致する場所もないため、広重の想像で描かれたと考えられている。現在の静岡県静岡市清水区。
《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》歌川広重 天保4-5年
《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》歌川広重 天保4-5年

東海道五拾三次之内 庄野 白雨

白雨とは夕立のこと。画面左から大胆に描かれた勾配のある坂。右手の家並みがこの坂の小高さを思わせる。その坂を必死に登る駕籠かきと転げ堕ちるように駆け下る旅人と農夫。そこに夕立が坂と直角に交差するように降り始める。雨雲を感じさせる空のぼかし、雨しぶきに煙る竹林のシルエットの濃淡、白雨の言葉のとおりの夕立の繊細な色合いが見事である。現在の三重県鈴鹿市。

展示作品紹介

東京富士美術館が所蔵する桃山時代から江戸時代にかけての屏風、掛軸、巻子、武具、漆工芸、陶磁器、浮世絵版画など、初公開作品を含む約180点のうち一部の作品をご紹介いたします。

前期出品作品

  • 《風神雷神図襖》(部分)鈴木其一 江戸時代後期
    《風神雷神図襖》(部分)鈴木其一 江戸時代後期
  • 《風神雷神図襖》(部分)鈴木其一 江戸時代後期
風神雷神図襖
俵屋宗達から尾形光琳、そして酒井抱一へと琳派の巨匠たちによって描き続けられてきた重要な画題である「風神雷神図」を、抱一の弟子である鈴木其一が描いた襖絵。襖の八面を使って、四面に風神、もう四面に雷神が、余裕ある空間の中でゆったりとえがかれている。“たらしこみ”の手法や大胆な筆さばきによる墨で一気に描かれた雲は、画面に複雑な調子と動きとを与えるとともに、広大な天空を感じさせ、彩色された風神雷神と美しい調和を示している。

《観瀑図(山水瀧図)》曾我蕭白 江戸時代中期
《観瀑図(山水瀧図)》曾我蕭白 江戸時代中期


観瀑図(山水瀧図)

細長い縦画面に瀧を描いた山水画。画面右下に土橋の上を驢馬に乗って歩む人物とその従者らしき人物を描く。画面左下には、前景として濃墨で大樹と家屋が配され、その室内にも二人の人物が描かれている。中景には主題となる瀧を、遠景は遠山にたなびく雲を描く。本作は、落款と印章から技術と意欲のバランスがとれた蕭白30代後半から40代前半の円熟期の作品と知れる。左上に「蛇足軒蕭白画」の落款と「祐邨」の白文方印の印章がある。

後期出品作品

《洛中洛外図屏風》(部分)狩野派 江戸時代前期
《洛中洛外図屏風》(部分)狩野派 江戸時代前期
洛中洛外図屏風
洛中洛外図は、室町時代後期に成立し、江戸時代まで続いて制作された風俗画の一種である。京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の名所や旧跡、四季折々の行事などを一望のもとに描く。ふつう六曲屏風一双の画面に描かれる。本図では、左隻の中央に大きく二条城が描かれ、右隻には豊臣の余光を反映して方広寺大仏殿の威容が配されている。金雲たなびく眼下に京都の町の繁栄の様子が活写され、町の賑わいが伝わってくるようなみずみずしい作品である。作風から江戸も早い時期、狩野派の画家によって描かれた作品と考えられる。

《象図》伊藤若冲 寛政2年
《象図》伊藤若冲 寛政2年

象図

象を画面いっぱいに真正面から描く。細長い画面を逆手にとった意表を突く大胆な構図である。本来は白紙の、象の背景となる部分を全て墨で塗りつぶして、象を引き立てているのも効果的である。単純な作風にみえるが、淡墨と濃墨を細心の配慮をはらい用いていることが理解できる。これは拓版画の効果を肉筆画に応用したものと推測される。背中を三本の曲線だけで表わすなど抽象化されており、興味深い。その落款と印章から若冲70歳代半ばの作と知れる。

通期出品作品

《白糸裾萌葱紺威鎧 兜・大袖・小具足付》島津斉彬所用 江戸時代後期
《白糸裾萌葱紺威鎧 兜・大袖・小具足付》島津斉彬所用 江戸時代後期

白糸裾萌葱紺威鎧 兜・大袖・小具足付

幕末の薩摩藩主島津斉彬が着用したと伝えられる大鎧。甲冑は伝来がはっきりしないものが多いうえに、損傷のため後世に手を加えられることが少なくない。その中で、制作当初の状態で各部が完全に揃っているものとして貴重である。兜の鉢は、古く鎌倉時代のものを転用しており、各所に取り付けられた金具の装飾は豪華な作りで、これほどの手の込んだ金具は他に例がない。また獅子牡丹文様の弦走の韋、篭手の蒔絵に加え、白色、萌黄色、紺色の三段の威絲など、全体に勇壮さ、重厚さよりも、優雅さ、軽快さの感じられる上品な作風である。
《葵紋牡丹紋二葉葵唐草蒔絵茶碗台・同蓋》天璋院篤姫の婚礼調度 江戸時代後期
《葵紋牡丹紋二葉葵唐草蒔絵茶碗台・同蓋》天璋院篤姫の婚礼調度 江戸時代後期

葵紋牡丹紋二葉葵唐草蒔絵茶碗台・同蓋

天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)(天保6-明治16)の婚礼調度の一部で、陶磁器製の茶碗をのせる台、および蓋である。篤姫の婚礼調度品はこれまで国内外で4件しか確認されていない希少なもので、東京富士美術館のほかアメリカのスミソニアン協会、徳川記念財団、大阪青山大学短期大学が所蔵する。薩摩に生まれた篤姫は、安政3年(1856)に右大臣近衛忠煕(このえただひろ)の養女となり、その年の11月に第13代将軍徳川家定の正室となった。近衛家の抱き牡丹紋、徳川家の三葉葵紋を配し、二葉葵唐草の意匠が施されている。
《竹雀紋竪三引両紋牡丹唐草蒔絵女乗物》順(むね)姫所用 江戸時代中期
《竹雀紋竪三引両紋牡丹唐草蒔絵女乗物》順(むね)姫所用 江戸時代中期

竹雀紋竪三引両紋牡丹唐草蒔絵女乗物

黒漆塗りに金蒔絵が施され、宇和島伊達家の家紋である「竹に雀紋」と「竪三引両紋」が描かれた乗物。駕籠の中でも公家や武家が乗るような引き戸が付いている高級なものを乗物と呼ぶ。内装部分には、金地に墨や岩絵の具などで風景と草花が極彩色で丁寧に描かれている。この女乗物は、仙台藩第7代藩主伊達重村の娘順姫が伊予宇和島藩第6代藩主伊達村壽に嫁いだ際に用いられた順姫ゆかりの品と考えられている。当時は江戸の藩邸間で乗られたもの。総黒塗りの渋くて重厚な男性用の乗物に比較し、華やぎがあるといえよう。大名家にふさわしい豪華な蒔絵、華やかな花鳥画が特徴的である。同種の乗物は、わずかしか現存しておらず、文化的にも高い価値がある。