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札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜さっぽろ地下街編

2021年1月13日(水)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜さっぽろ地下街編

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北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」。今回は、今年でちょうど開業半世紀を迎える「さっぽろ地下街」の歴史を辿りました。今回ガイドをしてくれたのは、札幌建築鑑賞会の代表・杉浦正人さん。街歩きをはじめて30年目、これまでも何度か番組でお世話になったことのある個性的なガイドさんです。
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今年開業50周年を迎える「さっぽろ地下街」。地下鉄大通駅からすすきのまで南北400mのポールタウン、地下鉄大通駅からテレビ塔まで東西312mのオーロラタウン、あわせて135のお店が軒を連ねる商店街です。
今回は「札幌の街を支える縁の下」をテーマに、どんな風に札幌の街を支えてきたのかを探っていきます。
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まずは地下街が作られたきっかけを探りました。原点は狸小路です。狸小路を通る駅前通りの道路幅は現在は36mありますが、1960年頃は半分の18m程しかありませんでした。1955年〜1965年頃、札幌市内でも自動車が急増したことから交通渋滞が大問題になったため道路幅を広げることに。これまで狸小路を利用していた方々は狸小路の東西をスムーズに通ることができなくなり、問題解決のため地下に通路を作る案が出ました。
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しかし当時の地下通路のイメージは暗い・汚い・怖いとマイナスのイメージばかり。そこで単なる通路ではなく、地下に商店街を作ろうということになりました。このほぼ同時期に地下鉄を作ろうという話が進んでいたので、合わせて進めることで新たに用地買収をしなくてもいい、地下鉄の工事で幅の広い公共用地ができ、公共事業で工事も進むなど好条件が重なりました。こうして1971年11月、1年半という驚異的な速さでさっぽろ地下街はオープンしました。
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なぜ札幌の地下街は“L字型”になったのか、それは当時の生活の基軸が「東西の通り」だったためです。札幌では商いのルーツが南一条通や狸小路など、人の流れが東西になっていました。元々の札幌の街の成り立ちに沿う形で、オーロラタウンは東西に作ることになりました。明治当時から大通公園は十分な幅・スペースがあり、地下鉄東西線の構想もあったことから、南一条通ではなく大通公園の下にオーロラタウンが作られました。
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さっぽろ地下街開業当時から、受け継がれているものを振り返りました。待ち合わせ場所としてもおなじみの「小鳥のひろば」は、開業した50年前からある人気スポットです。今はセキセイインコが飼われていますが、元々は今とは違う場所にあり、九官鳥やカナリアなど約10種類の鳥が飼われていました。

続いては歴史の痕跡を探してオーロラプラザへ。今はベンチがあり、休憩や待ち合わせ場所であり、イベントなどが行われるスペースですが、開業当時は噴水があり、滝も流れていました。オーロラタウンの通路には水路が通り、ポールタウンには水槽があり鯉が泳いでいました。大通公園のイメージを地下でも楽しめるように、地下でありながら自然をイメージして作られ、家族で楽しめる空間として、地下に賑わいが生まれました。
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地下街の開業当時から、同じ場所でお店を続けている「シューズショップ IWAI」の5代目社長・岩井久さんにお話を伺いました。開業当時代表をしていたのは岩井さんのおじいさん。札幌最初の靴屋として店舗を構え、多くの人が買い物を楽しんでいたそうです。
岩井さん:地下街にお店を構えられたのは祖父のおかげだと思っています。札幌は一年の半分が雪なので、地下街が担う役割は重大だと思っています。地下なので「縁の下の力持ち」として発展していくことを願っています。
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