「さっ、やりますか。」 北本 隆雄
2018年9月19日(水)

北本 隆雄
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北海道胆振東部地震で被害・影響を受けた方、皆さまに心からお見舞い申し上げます。
地震が起きた時、私は関西にいました。大量の食料・水・電池を大きなリュックに入れてその日のうちに、自家発電で機能していた旭川空港に到着しました。旭川から札幌まで移動する手段を探している中で一緒になったのは大手電気通信会社の4人グループでした。
タクシーが見つかり、一緒に札幌に向かいました。
その方々は台風で大きな被害を受けた大阪で、携帯電話の電波を送る施設の復旧をしていたそうです。夜を徹して作業していた中で胆振東部地震が起き、現場を他のチームに任せてすぐに北海道へ向かったのです。
「電波がつながらず情報が手に入らなかったら、不安で何も手につかなくなる人もいる。だから少しでも早くその不安を取り除くのが、私たちの仕事なんです」
大停電で真っ暗な札幌の街に着いたときの彼らの第一声は「さっ、やりますか。」でした。
その夜、札幌市内にいた私の携帯電話は、かなりつながりにくい状況でした。しかし次の日には電波状況は徐々に回復してきました。出会ったみなさんの底力を感じます。
どうか北海道が、これ以上大変な状況にならず、元の姿に戻っていくことを祈りながら、北海道に住む一人として私も自分にできることを精一杯取り組みます。
地震が起きた時、私は関西にいました。大量の食料・水・電池を大きなリュックに入れてその日のうちに、自家発電で機能していた旭川空港に到着しました。旭川から札幌まで移動する手段を探している中で一緒になったのは大手電気通信会社の4人グループでした。
タクシーが見つかり、一緒に札幌に向かいました。
その方々は台風で大きな被害を受けた大阪で、携帯電話の電波を送る施設の復旧をしていたそうです。夜を徹して作業していた中で胆振東部地震が起き、現場を他のチームに任せてすぐに北海道へ向かったのです。
「電波がつながらず情報が手に入らなかったら、不安で何も手につかなくなる人もいる。だから少しでも早くその不安を取り除くのが、私たちの仕事なんです」
大停電で真っ暗な札幌の街に着いたときの彼らの第一声は「さっ、やりますか。」でした。
その夜、札幌市内にいた私の携帯電話は、かなりつながりにくい状況でした。しかし次の日には電波状況は徐々に回復してきました。出会ったみなさんの底力を感じます。
どうか北海道が、これ以上大変な状況にならず、元の姿に戻っていくことを祈りながら、北海道に住む一人として私も自分にできることを精一杯取り組みます。