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札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜桑園編

2018年11月9日(金)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜桑園編

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北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」今回は、札幌駅のお隣「桑園」編です。案内人はマチの広報誌「マイタウン桑園」編集長の池田顕さん。生まれてこの方66年、桑園一筋で過ごしてきた“桑園の生き字引き”です。

「桑園」という地名

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桑園エリアの人口は約2万8000人。中央区のなかでは円山や山鼻に次いで多くの人が住むエリアです。しかし、実は「桑園」という正式な住所や地名はないんです。ではなぜこのエリアが「桑園」と呼ばれるようになったのか?
それは、この地の開拓が始まった今からおよそ140年前のこと。蚕を育てることを目的に桑の木が植えられ、辺り一面、桑の畑だったことから「桑園」と呼ばれるようになったということです。

北海道知事公館

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木村アナと池田さんは桑園駅前から移動し、「北海道知事公館」にやってきました。今の時期は園内の紅葉が綺麗で、散策やスケッチを楽しむ人も多くいます。1936年に建てられた現在の知事公館は、重要な会議や行事に使われ、昭和天皇が宿泊されたことがあります。
一般開放されている庭に、1965年に建てられた「桑園碑」があります。毎年8月には「桑園開拓まつり」も行われる場所です。この石碑の裏には『道庁の西側約21万坪を開き、その地に桑の苗4万株を植えました。これが桑園という名の始まりなのです』と、桑園の名前の歴史がはっきりと刻まれていました。

北海繊維 株式会社

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桑畑が広がっていた「桑園」ですが、繊維問屋が立ち並ぶ“繊維の街”と呼ばれていた時代もあります。この場所で創業して66年「北海繊維」の石田代表取締役のもとを訪ねました。現在このエリアの繊維問屋は10軒もありませんが、ピーク時には130社以上あり、賑やかだった時代のことを教えてくれました。
1890年(明治23年)に桑園で創業し、海外にも製品を送り出していた北海道を代表する繊維問屋「小林商事」が、同業者に声をかけて集まったことが“繊維の街・桑園”の始まりだったそうです。

大正時代のモダンな邸宅

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また、大正時代の初め頃から、北大の先生方が住居を構えたことから“博士町(はかせまち)”とも呼ばれていました。北海道大学の前身である北海道帝国大学が規模を大きくして生まれ変わったのが大正7年、欧米帰りの多くの研究者が教授として札幌に召集されました。時代の最先端をゆく文化人たちが建てた当時珍しい洋風建築は、庶民の目を引く存在だったそうです。
北海道大学の元教授・高倉嗣昌さんに、今も保存されいる大正時代の邸宅を見せていただきました。こちらは高倉さんの父で、北海道大学の名誉教授である高倉新一郎さんによって大正10年頃に建てられました。中を見せていただくと、個人の住宅とは思えない内装で、天井の高さや豪華な装飾に驚かされます。
そういった文化人たちの暮らしを知り、「いつかは住みたい」「憧れの街」という存在になった桑園は、多くの人々で賑わうエリアに変貌していったということです。
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