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札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜大通公園編

2019年6月4日(火)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜大通公園編

  • てくてく洋二〜大通公園編
北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」。今回は明日から始まるYOSAKOIソーラン祭りのメイン会場でもある大通公園を探訪しました。
案内人は「札幌市資料館ボランティア友の会」志村邦彦さん、大通公園をはじめ時計台など札幌の観光ガイドを務める方です。

大通公園

  • てくてく洋二〜大通公園編
札幌を代表する観光名所「大通公園」は西1丁目〜西12丁目の約1.5kmあり、明日6月5日(水)から始まる「YOSAKOIソーラン祭り」など様々なイベントで賑わいます。
かつての西1丁目・西2丁目
  • てくてく洋二〜大通公園編
  • てくてく洋二〜大通公園編
実は昔、現在の1丁目にあたる場所は公園ではなく、現在中島公園にある「豊平館(ほうへいかん)」がありました。2丁目には電話局の建物と敷地があり、現在の大通公園にせり出していました。
そのため、大通公園ができた当初は西3丁目が「大通」のスタート地点でした。
大通公園が造られた理由
  • てくてく洋二〜大通公園編
大通公園が造られた理由を伺いました。一つは、役人の土地や役所がある“官地”と民間の商人や庶民の住宅がある“民地”を分けるためで、もう一つは、当時は火事が多かったため、どちらかで火の手が上がった時に延焼を防ぐため(火防線)でした。
かつての西3丁目・西4丁目
  • てくてく洋二〜大通公園編
明治9年に西3丁目と西4丁目に花が植えられ「大通花草(かそう)園」と呼ばれるようになったのが「大通」という言葉の原点でもあります。
そして明治14年、正式に「大通」という地名が付きました。
かつての西7丁目
  • てくてく洋二〜大通公園編
    野菜を栽培する様子。右奥は台座だけが残された黒田清隆氏像。
西7丁目は今でこそ憩いの場所となっていますが、戦時中に生きていくために野菜を植えて食糧難を乗り越えてきたという苦難の歴史もありました。

明治36年、大通で初めての銅像として北海道の開拓に尽力した政治家・黒田清隆氏の像が建てられましたが、戦争で供出命令(金属回収)が出て撤去されました。当時の写真から台座だけが残されていることが分かります。現在、黒田氏の像は西10丁目に再建されています。

戦争が終わり昭和25年頃〜40年代前半は、各丁目ごとにバスケットボールコートやテニスコート等のスポーツ施設が作られました。西7丁目は“大通球場”という野球場があり、志村さんも子供の頃に少年野球をやっていたそうです。
  • てくてく洋二〜大通公園編
    大通球場の様子
かつての西9丁目
  • てくてく洋二〜大通公園編
  • てくてく洋二〜大通公園編
西9丁目には滑り台やトイレの案内板など“クジラ”をモチーフにした物が点在しています。
実は当時湧き水があり、公園として使われず森のまま残されていました。切り残された樹木がクジラの形に見えたことから「鯨(クジラ)の森」と呼ばれるようになり、時代を越えて今も当時の面影が残されています。

大通公園は“憩いの場”としてはもちろん、時に命をつなぐ場所として、時に娯楽の場所として歴史を紡いできました。

木村アナ:平和に楽しめる大通公園があるというのは紆余曲折の歴史があったからなんですね。
志村さん:(大通公園は)札幌市民の大きな財産です。成り立ちをよく思い出して次の世代も受け継いでいってもらいたいと思います。
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