奥深き懐かしジュースの世界
2019年7月1日(月)
奥深き懐かしジュースの世界
今では約1000種類あると言われるジュース、今と昔ではどのように変わったのでしょうか?ジュースの歴史や、今も愛されるロングセラージュース等を清涼飲料水評論家・清水りょうこさんと共にお伝えしました。
清水さんはジュースに関する本を出版するほか各メディアにも出演し活躍されています。
清水さんはジュースに関する本を出版するほか各メディアにも出演し活躍されています。
ジュースの分類
ジュースは全て清涼飲料水になりますが、炭酸・果汁・コーヒー・お茶系・その他(スポーツドリンク等)と大きく5つに分けられます。
キャッチフレーズ
販売されている飲み物にはキャッチフレーズが付いていることが多く、中にはCM映像と共に記憶に残っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今月7日(日)に100周年を迎えるカルピスのキャッチフレーズは「滋強飲料 初恋の味」1954年に放送されたCMはモノクロ映像で、現在メーカーに残る一番古いものだそうです。
今月7日(日)に100周年を迎えるカルピスのキャッチフレーズは「滋強飲料 初恋の味」1954年に放送されたCMはモノクロ映像で、現在メーカーに残る一番古いものだそうです。
「やがて血となる骨となる」のキャッチフレーズで人気を博したのはサントリー「鉄骨飲料」。1989年に放送されたTVCMでは女優の鷲尾いさ子さんが出演し話題となりました。
ジュースの歴史
-
イメージ左:きゅうりびん
-
1853年、ペリー率いる黒船が来港した時に「きゅうりびん」と呼ばれる瓶にレモネードが入っていました。“レモネード”がなまって“ラムネ”になり、これが日本のジュースの始まりと言われています。
戦後、コーラやガラナが登場しますがほとんどは瓶入りでした。
昭和29年、明治(当時は明治製菓)から“日本初の缶ジュース”が登場し、ジュース界に衝撃が走ったと言われています。初期の缶には小さな缶切りが付き、飲み口と空気用の穴を開けて飲んでいました。
その後、缶からペットボトルタイプへと進化しています。
戦後、コーラやガラナが登場しますがほとんどは瓶入りでした。
昭和29年、明治(当時は明治製菓)から“日本初の缶ジュース”が登場し、ジュース界に衝撃が走ったと言われています。初期の缶には小さな缶切りが付き、飲み口と空気用の穴を開けて飲んでいました。
その後、缶からペットボトルタイプへと進化しています。
日本一のコカ・コーラ収集家が札幌に!
評論家の清水さんもビックリするほどの札幌在住のコレクターさんのお宅から生中継でご紹介しました。
末永修一さんはアメリカのコカ・コーラ社公認の団体“ジャパン コカ・コーラコレクターズクラブ”会長で、名実ともに日本一のコカ・コーラ収集家です。
末永さんの自宅兼コレクションルームにはコカ・コーラの地域限定缶や世界各国の記念ボトル等全部で4万点以上が並んでいました。
末永修一さんはアメリカのコカ・コーラ社公認の団体“ジャパン コカ・コーラコレクターズクラブ”会長で、名実ともに日本一のコカ・コーラ収集家です。
末永さんの自宅兼コレクションルームにはコカ・コーラの地域限定缶や世界各国の記念ボトル等全部で4万点以上が並んでいました。
北海道で今も愛されるロングセラージュース
リボンナポリン
歴史は古く1911年(明治44年)に「ナポリン」という名前で登場しました。当初はブラッドオレンジ果汁を使っていたと言われ、その産地でもあるイタリアのナポリにちなんで「ナポリン」と名付けられたそうです。
昭和43年に「リボンナポリン」と名前が変わり、発売から100年以上飲まれ続けているジュースです。
昭和43年に「リボンナポリン」と名前が変わり、発売から100年以上飲まれ続けているジュースです。
コアップガラナ
北海道に定着して今年で59年を迎える「コアップガラナ」は、道南・七飯町に本社を構える株式会社小原で製造されています。ガラナとはブラジル・アマゾン川流域原産の植物で、ガラナの実から抽出したエキスでコアップガラナは作られています。
清水さんによると、コアップガラナは日本中にあり味も各地で作られていますが、北海道はやや甘めに作られているそうです。
清水さんによると、コアップガラナは日本中にあり味も各地で作られていますが、北海道はやや甘めに作られているそうです。