北海道ライブ あさミミ!

今朝の放送内容 1月17日 (水)

2024年1月17日(水)

今朝の放送内容

今朝の主なニュース・スポーツ情報

●大韓航空とキャセイパシフィック航空の機体同士が接触 けが人なし 新千歳空港
●「千歳アウトレットモール・レラ」早ければことし秋にも営業終了か
●札幌市で今季1番のドカ雪 郵便は集配停止し幹線道路は大渋滞 死亡事故も発生
●おばの女性殺害し現金奪った強盗殺人事件 被告の男が起訴内容を否認 釧路市
●「派閥の解消」賛成・反対の意見拮抗 自民・政治刷新本部
●米大統領選 共和党“候補者選び”トランプ氏が初戦圧勝
●ダイハツ不正 3車種「型式指定」取り消しへ 国交省
●経団連“中小企業の賃上げ実現には社会全体の意識改革が不可欠”春闘に向け指針
●パーティー券購入者公開額を20万円超から引き下げへ 自民、派閥の人事関与禁止で調整
●阪神大震災からきょうで29年 追悼行事で能登被災地にも思い寄せる

●きのうの大相撲初場所結果 一山本3敗 北青鵬1勝2敗
●レバンガ きょうアウェーで茨城戦
●コンサドーレ沖縄キャンプ始動 3年半ぶり復帰の鈴木武蔵選手は気合十分
●プロ野球12球団とNPBが能登半島地震支援で支援金1億円を寄付
 ファイターズ新庄監督が交流戦増加案 12球団監督会議後に披露

今朝の選曲

【6時台】
M「SNOW SOUND / [Alexandros] 」

M「フライデイ・チャイナタウン/泰葉」
  • 北海道ライブ あさミミ!
    番組に寄せられた大鵬さんのことが書かれた資料です

あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス

八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。

今回は「 高度経済成長期の象徴 大鵬 」

昨年11月にこのコーナーで横綱柏戸をご紹介した時に、
釧路の柳沢さんという方から御手紙をいただきました。
そこには柏戸のライバルであった大鵬さんのことが書かれていて、
貴重な当時の資料なども同封されていました。

今週1月19日は大鵬さんが亡くなられて11年。
改めて北海道が生んだ大横綱大鵬をご紹介。

大鵬幸喜さん、本名納谷幸喜さんは、1940年(昭和15年)5月29日生まれ。
北海道川上郡弟子屈町出身の大相撲力士。
第48代横綱であり。通算優勝回数は32回。
うち、6連覇2回、45連勝など数々の大相撲史に残る記録を打ち立てた昭和の大横綱です。
お父様がウクライナ人の元将校で、生まれは南樺太でした。
実は日本へ引き上げる際に運命を分ける出来事がありました。
太平洋戦争末期、ソ連軍が南樺太へ侵攻してきたのに伴って、
お母さまと一緒に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で
北海道へ引き揚げることとなっていた大鵬さん。
最初は小樽に向かう予定だったそうなんですが、
お母さまが船酔いと疲労による体調不良になり、稚内で途中下船します。
すると乗船していた小笠原丸はその後、留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃を受けて
沈没してしまうという痛ましい事件がありました。
つまり、稚内で下船せずにいたら、もしかすると
横綱大鵬も誕生していなかった可能性があるということです。

ただ、その後北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく、
お母さまの再婚相手の職業が教師だったこともあり、
北海道各地を転々とする生活だったようです。
あまりの貧しさから大鵬さん自ら家計を助けるために
納豆を売り歩いていたということもあったといいます。
中学校卒業後は一弟子屈高校の定時制に通いながら林野庁関係の仕事をしていましたが、
1956年(昭和31年)に二所ノ関一行が訓子府町へ巡業に来た時に紹介され、高校を中退し入門。
入門にあたってはお母さまから反対もされたそうですが、
親子で相撲部屋を見学した時に所属力士の礼儀正しさを見た叔父がお母さまを説得。
実は大鵬さん北海道の田舎暮らしで当時ラーメンさえ食べたことが無かったそうで、
巡業中にふるまわれたちゃんこに大変感銘を受けたことも入門の大きなきっかけになったそうです。
入門年の1956年9月場所には初土俵を踏み、当初より後のライバル柏戸と共に
横綱確実の大器と評されていたそうです。

その後は序ノ口時代から大幅な勝ち越しで順調に番付を上げていき
1958年3月場所では三段目で優勝。
翌1959年3月場所で6勝2敗と勝ち越して十両昇進。
この時に四股名の大鵬・・中国の古典にある
「翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里の天空へ飛翔する)」と言われる
伝説上の巨大な鳥に由来する名前を名乗り始めます。

翌1960年(昭和35年)1月場所で新入幕を果たすと、初日から11連勝。
ちなみに新入幕初日から11連勝は一場所でのものとしては昭和以降で
最多という記録をいきなり作ります。
ただ、この記録を12日目に止めたのは、何を隠そう後のライバル小結柏戸でした。
その後14日目と千秋楽と連敗したものの、12勝3敗の好成績で敢闘賞を受賞します。
同年3月場所で東前頭4枚目まで番付を上げ7月場所では早くも新小結に昇進すると、
この場所でも11勝4敗とし、9月場所では20歳3ヶ月という当時の史上最年少で新関脇へと昇進。
そして、11月場所では13勝2敗の成績を挙げ、
これも当時の史上最年少となる20歳5ヶ月で幕内最高優勝を達成。
場所後史上最年少で大関へ昇進します。
入幕した年に大関昇進を果たした力士は現在でも大鵬さんのみ。
更に入幕した1960年に年間最多勝を獲得という、
年間最多勝発足後史上唯一の記録をうち立てます。
この間の小結・関脇では36勝9敗という圧倒的な強さで、
僅か3場所での通過ということになります。
また、新入幕から6場所目での初優勝は年6場所制以降では当時の最速記録。
そして、この場所でTBSアナウンサーの小坂秀二さんが
「柏鵬時代」という言葉を発したことをきっかけに、一気に定着することになったそうです。

新大関で迎えた1961年1月場所は10勝5敗に終わったものの、7月場所では13勝2敗、
大関としての初優勝を果たします。
そして9月場所では14日目に柏戸に敗れ3敗目を喫するものの、
優勝決定の巴戦を制して2場所連続優勝。
場所後協会は横綱審議委員会に大鵬・柏戸両名の横綱昇進を諮問し、
両名とも満場一致で横綱に推薦されました。
大鵬21歳3ヶ月、柏戸22歳9ヶ月での横綱昇進は、
ともにそれまでの最年少記録だった照國の23歳3ヶ月を更新。
また横審が内規を定めてから、大関で2場所連続優勝を果たして
横綱に昇進したのも大鵬さんが初めてとなりました。

新横綱で迎えた1961年(昭和36年)11月場所、
翌1962年(昭和37年)1月場所と連続優勝を果たすと、
同年7月場所から1963年(昭和38年)5月場所まで最初の6連覇を達成。
ところが、「型のある相撲」と評されていた柏戸が休場を繰り返していたことで、
「型のない相撲」といわれた大鵬が一人勝ちしている状況から、
なんと観客が減少気味となります。
このことでNET(現在のテレビ朝日)は1964年5月限りで、
日本テレビとTBSは1965年1月限りで大相撲中継から撤退し、
大相撲中継の勢いが落ちたのは大鵬の常勝による土俵のマンネリ化が
原因であるとされた時期もあったほどなのだそうです。

しかし、皮肉なことにこの頃生まれたのが、
日本の高度経済成長期を象徴する言葉「巨人・大鵬・卵焼き」だったと言われています。
1960年代前半の高度経済成長期に、通産官僚であった堺屋太一さんが、
当時若手官僚の間で時代の象徴として冗談で言い合っていたこのフレーズを、
記者会見の中で「日本の高度成長が国民に支持されるのは、
子供が巨人、大鵬、卵焼きを好きなのと一緒だ」と答えて紹介したことが
きっかけで広まったとされているそうです。

1960年代中盤に入ると高血圧での途中休場や入院、
更にはアメリカから拳銃を密輸入していたことなどのトラブルもありましたが、
1966年(昭和41年)3月場所からは再び6連覇を達成。
しかし、翌1967年(昭和42年)には左肘の負傷、それ取り戻そうと
稽古で無茶をしたことで左膝靭帯断裂の重傷など苦難も経験します。
しかし、1968年(昭和43年)9月場所2日目から
1969年(昭和44年)3月場所初日までの間に45連勝を記録。
そして、連勝が止まった3月場所2日目の戸田戦後のニュース映像で
戸田の足が先に出ていたことが判明。
昨年ご紹介したビデオ判定導入のきっかけを作ったということもありました。
 1971年(昭和46年)1月場所には32回目の優勝を果たしましたが、
5月場所5日目には新鋭の貴ノ花に尻から落ちる敗戦を喫し、
翌日の福の花戦を不戦敗とし引退となりました。
通算成績は872勝182敗。勝率.827。
幕内成績は746勝144敗(幕内勝ち星は歴代5位) 勝率.838。
横綱成績は622勝103敗(横綱勝ち星は歴代4位) 勝率.858という名横綱で、
その功績をたたえ弟子屈町川湯温泉街には、大鵬相撲記念館が建てられ、
大鵬が実際に使用した化粧廻しや優勝トロフィーなどのゆかりの資料が展示されていたり、
名勝負・名場面などの栄光の記録と生い立ちから最晩年に至るまでの歩みを綴った
ドキュメンタリー映像を上映するコーナーもあり
記念館の前には、大鵬の銅像も建っています。

毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」

月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!

火曜日は
庭野ほのかの☆いっぺこトーク
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
 
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
 
木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
 
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
 
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