“師匠”葛西紀明選手は涙 下川出身・伊藤有希選手「夢叶えることできた」引退の真相初めて語る
スキージャンプ・北海道下川町出身の伊藤有希選手が、引退を決めた理由を初めてSTVのカメラの前で語りました。
そして、成長を見守ってきた葛西紀明選手の心境とはー
沖縄県宮古島市。
早朝の砂浜を走る「いつもの光景」。
毎年恒例のこの景色も2026年が最後になります。
下川町出身・スキージャンプの伊藤有希選手。
5月、2027年3月をもって現役を引退することを発表しました。
(伊藤有希選手)「何かができなくなったりとか何かをあきらめたから引退を決めたわけではなくて、自分が設定した夢だったり目標を叶えることができたので、それで自分の中で一区切り、気持ちに決断をつけることができた」
伊藤有希選手は4歳のときにスキージャンプを始めました。
「天才小学生」と呼ばれ、多くの大会で活躍。
高校卒業後に、同じ下川町出身の葛西紀明選手に誘われ、土屋ホームスキー部の門をたたきました。
シーズンの始まりはいつもここ、宮古島の合宿からー
(伊藤有希選手)「島のあちこちにみんなでトレーニングした記憶だったり思い出があって、毎年行っている場所でも『ここで何年前はトレーニングしたな、ことしが最後なのかな』という気持ちもあって、また毎年来ている宮古島でもまた一段と新鮮な気持ちで、最後のシーズンにはなりますが、また変わった新鮮な気持ちでトレーニングできています。
私はあまりずば抜けた身体能力だったり、球技がすごく上手とかではないし、トレーニングもあまり得意な方ではないけど、ひたすらいままで私がここまで来ることができたのは、まわりの環境だったり出会う方々だったりとかに助けていただいて、そこだけに恵まれてここまでこられたと思っている。
自分の夢は2つあって、オリンピックで金メダルをとることと、“フライング”(200m越えのジャンプ台)プラニツァを飛びたいという夢があった。オリンピックで金メダルをとるという夢は叶えられなかったですが、結果的にはフラインを飛ぶという夢は叶えることが出来た。同じシーズン中に2つの夢を1つは叶って、1つは叶えることができなかったけれど、だからこそ夢の価値がわかった。もちろん夢が叶わなくても、それまでの道のりに、道のりこそに意味があるということがわかったし、夢が叶った瞬間、私の決断はすぐについた」
高校を卒業して14年、いつもそばで成長を見守ってきた葛西紀明選手はー
(葛西紀明選手)「あのひたむきさ、人に対する感謝とか謙虚な気持ち、一番人間力のある素晴らしい選手だなと。本当にミラノ・コルティナオリンピックでメダルをとらせてあげたかった。あと1年というのはさみしい。1シーズン全力で一緒にトレーニングして、監督として見守ってあげたい」
あと1シーズン。
伊藤有希選手の“夢”はー
(伊藤有希選手)「もし私が最後の1年ということで、『もう最後の1年なんだ、そしたらジャンプ台に行って見てみようかな』って思う方がいらっしゃったりとか、1人でも多くの方に生のジャンプの空気感というのを感じてほしいし、その方が来シーズン以降もまたジャンプ台に足を運んでくださるきっかけに(自分の引退発表が)なったらいいなと思っている。
『どうせ飛ぶなら世界一』。世界選手権では個人の金メダルは1つも持っていないので、そこを目指していますし、またことしも(上位15人が参加できる)プラニツァのフライングを飛んでワールドレコードを作りたいという自分の目標もありますので、最後の最後まで引退する最後の1本まで、変わらず世界一を目指します」