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キング・オブ・アスリートがフリースクールの学長に 五輪2大会出場・右代啓祐(江別市出身)が「選手・監督・学長」の3刀流に挑戦

【画像】右代啓祐さんが「選手・監督・学長」の3刀流に挑戦

陸上十種競技の日本記録保持者であり、元アジア王者、12年ロンドン五輪・16年リオ五輪日本代表の右代啓祐(38)が、地元・江別市に設立されるフリースクールの学長に就任します。

右代が学長を務めるフリースクールは、江別市の大麻銀座商店街のゲストハウスに併設される「ロキん家(ろきんち)」。

現在、江別市の小中学校では250人の不登校児・生徒がいますが、受け入れ先のひとつとなるフリースクールは市内には一つもありません。

だからこそ子どもたちが気兼ねなく学べる場を作ろうと、カフェとゲストハウス、フリースクールが融合した施設を、2025年7月に開校することになりました。

フリースクールの運営会社は「えべつのまちづくり株式会社」。

札幌・江別・渋谷などを拠点に活躍するまちづくりコーディネーター・林匡宏が代表を務め、地元・江別の企業が出資、さらに江別市内の酪農学園大学などと連携して、2025年4月に設立された企業です。

右代はこの会社のスタッフに自身のユニフォームのデザインを手掛けてもらったきっかけで縁が生まれ、社外取締役として参画しています。

右代は東京・八王子市に妻と娘2人の4人暮らし。

母校・国士舘大学では准教授として教壇に立ちつつ、2025年4月からは国士舘大学男子陸上部の監督にも就任しました。

さらに、かつてアジア最強として君臨した十種競技も現役選手として継続中。

2025年7月に岐阜で開催される日本選手権の参加標準記録を突破し、すでに出場が決定しています。

父であり、監督であり、選手。

ただでさえ多忙な右代がなぜ、地元のフリースクールの学長を引き受けることになったのか。

それは「つながり」の大事さを自身の競技生活の中で強く感じてきたからだといいます。

右代が国士舘大学を卒業し、同大学院に進学したのは2009年。

その時、臨時コーチとして右代を指導したある師の教えが眠れる才能を開花させました。

その師とは十種競技の元日本選手権王者で、現在はタレントとして活躍する武井壮。

右代が武井にまず言われたことが『逆立ちをしてみろ』。

身長196センチ・体重95キロと恵まれた体格を生かし、学生のころから日本選手権でも優勝争いをしていた右代でしたが、言われた当初は満足な逆立ちができませんでした。

武井からは『お前さ、陸上の技術をあれこれ言っているけど、逆立ちして自分の体をコントロールすらできないのに、技術の話をするな』と伝えられました。

頭を強く棒で叩かれたような衝撃が走りました。

自らの体をコントロールする術に向き合った右代。

逆立ちから始まり、その後はバク転をマスターするまでに、頭と身体のつながりを強化しました。

恵まれたパワーを使いこなせるようになったことで、飛躍の時が訪れます。

十種競技は2日間にわたって100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400m、110mH、円盤投、棒高跳、やり投、1500mという10種目をこなす過酷な競技。

武井の教えを受けた翌2010年には日本選手権を初制覇。

2011年には日本人初の8000点オーバーという日本陸上界念願の記録を打ち立て、自身初となる世界選手権にも出場。

キング・オブ・アスリートと称される十種競技において、名実ともに「ワールドクラスの日本人選手」として台頭しました。 

2012年には日本選手として48年ぶりのオリンピック出場(ロンドン)を果たし、2014年には日本新記録を樹立(8308点)。

同年秋の仁川アジア大会では金メダルを獲得するなど着実に記録を伸ばし、2016年リオデジャネイロオリンピックでは、日本選手団の旗手として2大会連続のオリンピック出場を果たしました。

そんなアジア最強のアスリートでも、年齢による衰えは免れませんでした。

日本選手権の優勝は2019年で途絶え、競技の集大成と見据えていた東京五輪への出場はかないませんでした。

しかし、右代は挑戦をやめませんでした。

36歳となった2022年。

フィギュアスケート・羽生結弦や柔道・阿部一二三の栄養面をサポートしてきた栗原秀文、ボブスレー元日本代表監督で走りの専門家である石井和男、経験豊富なトレーナー・三富陽輔、科学的な知見からアスリートの動作解析・改善を行う柿木克之らとともに、『チーム啓祐』を結成。

再び8000点超えと世界の舞台を目指し3年間、夢をあきらめないおじさん軍団でともに走り続けました。

右代は自身の競技生活を振り返った上で、「自分が陸上を通じて手に入れたもの・感じたものをどう未来に伝えていきたいかと思った時に、やはり地元・江別だなと思った」と語ります。

フリースクール「ロキん家」が併設されるゲストハウスも、元々は制服店。

右代は大麻銀座商店街を歩くたび、この店で買った制服を着て中学に通った思い出がよみがえるといいます。

(右代啓祐さん)「マチの景色が変わっていく中でも、生まれ育ったこのマチはずっと残っていってほしいし、このマチで育つ子どもたちにも江別を誇りに持ってもらいたい。僕はスポーツを通じてたくさんのつながりを得ることが出来たし、たくさんの可能性をつかませてもらった。今度は僕が恩返しをする番です」

右代は国士舘大学での指導や自身の練習、家族もいるため頻繁に江別に帰ってくることはできません。

それでも右代は「今はオンラインでも繋がれる。週に1回でも子どもたちに色々なことを伝えて、子どもたちにはいろんな出会いから可能性が生まれることを伝えていきたい」といいます。

7月20日にはフリースクールの開校式として、右代啓祐学長の公開講座がロキん家で行われます。

そして、選手としても開校式の前週に当たる7月12・13日、岐阜で開催される十種競技の日本選手権にも出場します。

(右代啓祐さん)「僕の教え子が5~6人出るので、その子たちに僕を超えてもらえたら。そして本当の(競技者としての)戦い方を見せられたらいい。あと1か月半あるからしっかり準備をしていきたい」

選手と監督とフリーススク-ル学長の三刀流に挑む右代啓祐。

そこまで多くのことに挑む理由を聞いてみました。

(右代啓祐さん)「できないこと・やったことがないことがあれば、そこが一番の伸びしろじゃないですか。色々できてこその十種競技ですから」

7月に39歳を迎えるキング・オブ・アスリートの笑顔は少年のように輝いていました。

06/03(火) 18:36

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