車が流出し農地が浸水 大規模水害から10年…マチが進める“備え”とは 北海道南富良野町
北海道南富良野町で空知川の堤防が決壊し、甚大な被害を及ぼした水害から8月31日で10年です。
全国で「想定外」の水害が相次ぐ中、マチぐるみでの備えが進んでいます。
幾寅地区の3分の1が浸水…大規模水害から10年
南富良野町を流れる空知川。
迫力満点のラフティングが人気で、夏は全国から観光客が訪れます。
流域のマチに豊かな恵みをもたらしてきましたが、10年前の8月31日、突然牙をむきました。
(中内記者)「空知川にかかる橋です。完全に崩落してしまっています」
2016年8月31日、南富良野町で空知川の堤防が決壊しました。
3つの台風が連続して北海道に上陸。
さらに、台風10号が接近し、南富良野町では29日からの3日間で8月1か月分の3倍に迫る513ミリの雨が降りました。
幾寅地区の3分の1、130ヘクタールが浸水。
氾濫した水によってたくさんの車が流され、ほとんど横倒しの状態まで傾いてしまった建物もー
さらに、濁流は基幹産業である農業にも大きな被害をもたらしました。
季節が徐々に進み、収穫の秋が迫る南富良野町。
(大居政則さん)「硬いのは硬いですね」
(記者)「流される前は?」
(大居政則さん)「ふかふかです」
町内で生まれ育った農家の大居政則さんです。
当時、大居さんの農地はおよそ6割が濁流に飲まれました。
(大居政則さん)「ここらへんまで土があったと思うし、畑としてはここらへんまで」
水が引いたあとに残ったのは大量の石。
何よりも大切な先祖から受け継いできた肥沃な「土」が失われました。
深くえぐられた農地に新たに土を運び込み、畑としての形は整えたといいます。
しかしー
(大居政則さん)「火山灰ってなかなか硬かったりするので、昔の土みたいにはいかないですね。(水害は)終わってないですね。10年経っても終わってないと思います」
運び込まれた土には水はけの悪い火山灰が混じり、主力だったタネイモは、いまも作ることができていません。
収入はかつての3分の1程度だといいます。
(大居政則さん)「黒い土を持ってきて客土すればよくなるのかもしれないですけど、いかんせんお金かかるので、15センチ客土して1000万円くらいかかっているんです」
大居さんがタネイモの代わりに栽培を始めたダイズは、2026年にようやく納得がいく出来にー
限られた環境でなんとか前を向いています。
(大居政則さん)「やっぱり大豆はなってますね。ことしは涼しいほうなのでいいですね。これが精いっぱいですね。そこそことれるようになってきたので、現状維持でやっていくしかないのかなと思います」
地元の飲食店も被害に…「頑張っていかなきゃならない」
シカ肉を使ったご当地グルメ・エゾカツカレー!
「道の駅 南ふらの」に店をかまえる、手作り料理が人気の「ビストロさっちゃん」です。
店を切り盛りする須甲幸子さん。
気さくな人柄は観光客だけでなく地元客にも親しまれています。
(須甲幸子さん)「ここに通路があって2軒、そこで水害。ここであった」
10年前、マチの中心部にある道の駅周辺も水につかり、店にも大きな被害が出ました。
(須甲幸子さん)「フライヤーから台から流しから全部ですからね。(損害は)数百万円は多分ね」
店を再開できたのは翌年の4月。
客の笑顔と復興していくマチの歩みが支えとなり、きょうまで営業を続けられたといいます。
(須甲幸子さん)「やっていかなくちゃいけない。やめるのは簡単なんだけど、自分たちが積み上げたものってあるんですよね。食べに来てくれる方がいるということ。“母ちゃん大丈夫か”ってみんなが言ってくれたのもあるかもしれない。頑張っていかなきゃならない」
「助けられる側」だった子どもたちの10年後
29日、ヘリコプターによる救助訓練が行われたのはー
あの日、多くの住民が取り残された保健センターの屋上です。
当時のことを思い出してもらおうと、2026年に初めてこの場所で救助訓練が行われました。
マチではこの10年、防災拠点の建設が続き、災害時の情報収集や捜索活動のためのドローンも導入。
当時、副町長として災害対応の陣頭指揮を執った高橋町長は、防災の取り組みに終わりはないと強調します。
(髙橋秀樹町長)「10年前にはああいう災害があったわけですから、やっぱりそこにしっかりと重きを置いてマチづくりをやっていかなきゃいけない。なんぼ人口が減っても、マチとしての財政規模が小さくなっても、そこは頑張っていくしかない」
南富良野町は8月31日を「防災の日」と定めています。
31日の地域ぐるみの防災訓練は、中学生が高齢者を避難所に案内する想定で行われました。
(中学生)「要望とかありますか」
(避難者役)「腰が寒いので毛布なんかあるとうれしいんですけど」
(避難者役)「私は疲れたので横になりたいです」
10年前は「助けられる側」だった子どもたちがいまは「助ける側」にー
これから起こるかもしれない災害に向けて、防災の意識が受け継がれていました。
(中学生)「(水害を)覚えています。幅広い年代の人に合わせて要望を聞いたりするのが大事だなと思ったし。今後そういうことがあった時には動く側になりたいなと思いました」
川とともにあるマチ・南富良野。
10年が経ち、爪痕と向き合いながらも次の災害への備えが続けられています。
