あの日、被災した12歳は“父親”に…「繰り返してほしくない」東日本大震災を知らない世代へ 津波の記憶つなぐ 北海道
あの日から15年。
東日本大震災で被災した12歳の小学生はいま、娘を持つ父親になりました。
震災を知らない世代が増えるなか、津波の記憶をつなごうと活動する男性の姿を追いました。
「亡くなった方も道端にいた」被災の経験を語り継ぐ
(渡邊滉大さん)「僕の家があった場所というのが、ちょっと坂を上った所の位置でして、津波、まあ来ないだろうなという思いでいました。僕の家の方も基礎しか残っていませんでした」
被災した経験を語るのは、渡邊滉大さん27歳。
ふるさとの宮城県で東日本大震災にあいました。
(渡邊滉大さん)「マチはこんな感じで流されてしまっているので、(流された自宅に)行く道中は倒れた家だとか、大きい魚がごろごろいるような。亡くなった方ももちろん、道端にはいました」
現在、札幌市内の会社に勤めている渡邊さん。
15年前のあの日は、まだ小学6年生でした。
(渡邊滉大さん)「3月11日。あの日は雪が降っていたので。こんな感じのうっすらの雪」
渡邊さんのふるさと・宮城県女川町。
押し寄せた津波で800人以上が犠牲となり、マチは壊滅的な被害を受けました。
(渡邊滉大さん)「パキパキパキというすごい音が鳴って、その瞬間、誰かが『津波だ』と叫んだ。その声と同時に焦って逃げるように小学校のちょっと上に総合体育館があったので、そっちの方にみんなで逃げていく」
自宅にも津波が達し、親戚や知人が犠牲になった渡邊さん。
選んだ道は、橋や道路を補修する仕事でした。
(渡邊滉大さん)「補修業界で、補修したことによって、災害が起きたときに緊急車両とかがいち早く現場に着けるような、違う角度から人の命を守る」
「災害からいのちを守りたい」。
その思いの原点が、女川に建てられた「いのちの石碑」です。
「いのちの石碑」は、渡邊さんが中学生の時に同級生と考えた防災の取り組みです。
津波が到達した地点よりも高い場所に、避難の目印となる「いのちの石碑」を設置。
費用は募金でまかない、21基の石碑が完成しました。
「千年後の命を守るために」。
石碑には中学生たちの思いが刻まれています。
震災から15年。
当時12歳の少年は“父親”に「家族を守りたい」気持ちに変化
渡邊さんにも家族ができました。
妻の琳茄さんと娘の莉陽ちゃんです。
宮城県石巻市出身の琳茄さんは自らも被災した経験があります。
(渡邊琳茄さん)「私たちが子どもの時に震災に遭って、悲しい思いだったり辛い経験をしたことを、できるだけ同じ思いはしてほしくないなと思うので」
「いのちの石碑」に取り組んだ渡邊さん。
社会人になってからも避難の教訓を伝える活動を続けています。
(渡邊滉大さん)「家族が増えて、家族を守りたい、自分の身を守ってほしい、そういう気持ちは強くなってきているかなと思います。これから震災を知らない子たちが何か起きたときに対応できるように、それをモチベーションにやっています」
甚大な被害をもたらした東日本大震災。
実は北海道太平洋沖の千島海構沿いでは、それと同じクラスの超巨大地震と津波が切迫している可能性があります。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「大体400年に1回ぐらいのペースで(地震が)繰り返し起こってきているということが明らかになっています。そして、前回の地震が今から400年前に起こったと、これも確かめられておりますので、次の地震はもう満期に達している」
千島海溝沿いでは、陸側のプレートの下に海側のプレートが沈み込んでいますが、北海道大学などの研究チームが海底観測をした結果、海側と陸側のプレートがそれぞれ年間8センチ動いていることを確認しました。
プレートの境界付近に巨大地震を引き起こすひずみが蓄積している可能性が高くなっていると分析しています。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「400年の間に30メートルたまったエネルギーが一気に放出して大きな地震が発生する。超巨大地震が起こりますと、東日本大震災と同じような超巨大な津波が発生して、それが太平洋沿岸を襲うということになりますので、現在の想定では高さで言うと20メートルを超えるようなところもある」
子どもたちに震災の教訓を…「いつか思いがつながれば」
この日、渡邊さんは講演のため、家族と一緒に旭川市を訪れました。
渡邊さんの同級生で、一緒に「いのちの石碑」に取り組んだ鈴木智博さんも宮城県から駆け付けました。
(渡邊滉大さん)「こういうタイミングでしか会う機会ないからね」
(鈴木智博さん)「ていうかこういうのも久々、かなり久しぶりだもんね。やっぱり15年経ってくるとなかなかちょっと少なくなってくるっていうのもあるし、お互いに引っ越したり仕事もある、少なくなってくる。呼んでもらえるのはありがたい」
(渡邊滉大さん)「本当にありがたい」
3年ぶりの再会を喜ぶ間もなく、すぐに入念な打ち合わせに入ります。
震災の教訓を語り継ぐ講演会には、地域の住民や子どもたちが集まりました。
ステージの傍らに設置されたのは、「いのちの石碑」のレプリカです。
(渡邊滉大さん)「いま私たちの故郷の女川に何ができるか考えてみようというのが一番最初の授業でした。まず1つめ・絆を深める。2つめ・高台に避難できる街をつくる。3つめ・記録に残し、未来へ伝える。まだ若い世代だと思うので、将来、例えば僕が札幌で仕事をするように、どこで仕事をするかわからないような状態で、その時にタイミングが悪くてってこともあるかもしれない。そんなときに何か僕たちのこの話が役に立っていただければ幸い」
(鈴木智博さん)「震災後に起きた大津波によってふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。悲しみで涙を流すひとが少しでも減り、笑顔溢れる町になるよう祈り、そして信じています」
「悲劇は2度と繰り返してほしくない」。
その思いを15年前の2人と同じくらいの子どもたちにも伝えます。
(小学生)「こんなにも大きな被害が出ているとは思っていなかった」
(小学生)「自分の身の回りのことを気にしながら、そういう(防災の)ことを考えていきたいと思います」
(小学生)「今回だけでこの話を終わらせてはいけないと思うし、友達とかにもしっかり伝えて、災害の恐ろしさをずっとずっと伝えていきたいと思いました」
(渡邊滉大さん)「15年が経つんだなっていうこと、僕も被災した当時はそのくらいの子だった。こんな話をして響くのかなって今の僕からしたらも思うんですけど、少なからずこの思いがどこかに響いて、つながってくれればいいなって思います」
「千年後の命を守るために」。
震災を知らない子どもたちに記憶をつなぐリレーはこれからも続きます。