香料会社が種を持ち込んだ!? フランス原産のラベンダー 富良野地方に定着したナゾ 北海道
一面に広がる紫色の絨毯。
まさにいま見ごろを迎えているのは、北海道・富良野地方のラベンダーです。
上富良野町の日の出公園にも、全国各地から大勢の観光客が訪れていました。
(観光客)「きれいですね」
(観光客)「すごいなと思って、きれいで」
夜のライトアップ期間にはシャボン玉がラベンダー畑に浮かび、幻想的な雰囲気に包まれます。
様々なナゾを解き明かす「ナゾトキ」。
きょうは一大観光地に発展した富良野地方のラベンダーのナゾにせまります。
なぜ富良野地方にラベンダー?
いま満開を迎えているラベンダーですが、そもそもなぜ富良野地方で定着したのでしょうか。
上富良野町の日の出公園です。
およそ4万株のラベンダーが丘を埋め尽くし、あたりは甘やかな香りに包まれます。
(新潟県から来た人)「普段あまりこういうのは見ないけれど、来てみてすごいと思う」
(三重県から来た人)「においがたまらないですし、色合いもすごくいい」
(宮永キャスター)「日の出ラベンダー園です。すごいですね、今ちょうど最盛期。一番いい時期を迎えています。本当にきれいです」
上富良野町の観光協会の山本一大さんです。
山本さんにこの地域にラベンダーが定着した背景を聞いてみると、ある驚きの事実がありました。
ラベンダーは草花ではない?
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「ラベンダーの根元に注目してほしいんです。実はこれ、木ですよね。樹皮に覆われている。実は草花の一種ではなく樹木の一種」
(宮永キャスター)「えー!それは知りませんでした」
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「逆にいうと、木だからこそ冬を乗り越えていける」
(宮永キャスター)「木だから冬の間も幹の状態でシーズンを越す」
実はラベンダーは草花ではなく木の一種なんです。
そのため、寒く雪深い富良野地方でも大規模に栽培することができたんです。
そして、もう一つの理由がありました。
富良野地方はラベンダー原産地に似ている?
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「もともとラベンダーはフランスのプロヴァンス地方原産で、ほぼ同じ緯度・標高の上富良野がラベンダーに適していた」
(宮永キャスター)「土地・気候も合っている?」
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「そうなんです。フランスのプロヴァンス地方は湿気がなくて寒い土地というのもあって、上富良野町も湿度が低く気温が低いので、ラベンダーが根付いているという背景がある」
そもそもフランスの植物だったラベンダー。
では、どうやって富良野地方までやってきたのでしょうか?
富良野地方のラベンダーはどこからやってきた?
上富良野町の日の出公園、ラベンダー畑の中にあったのは「かみふらのラベンダー発祥の地」と書かれた碑です。
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「上富良野町は大規模農作が始まった土地。一時は上富良野町内だけで85ヘクタール、日本の総生産量の8割を上富良野で担っていた時期も」
(宮永キャスター)「そういった意味での発祥の地だったんですね」
上富良野は大規模な生産が始まった場所といいます。
STVにも当時の様子が残されていました。
(当時の映像)「7月、ラベンダーの香りが畑一杯に広がるとき、摘み取られた花は工場で蒸留され、ラベンダーオイルが作られます」
では、ラベンダーの生産が最初に始まったのはどこなのでしょうか。
過去の映像をよく見ると、曽田香料の名前が。
さらに、上富良野町の碑の裏にも同じ会社の名前がありました。
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「日本で最初にラベンダーを持ってきたのは、曽田香料という会社がラベンダーの種5キロをフランスから持ち込んだ」
国内のラベンダー発祥地は札幌?…キーワードは「曽田香料」
当時、ラベンダーを持ち込んだという「曽田香料」。
いまも札幌に営業所がありました。
会社の100年史に当時のことが書かれているといいます。
(曽田香料 鈴木浩司札幌営業所長)「私どもの創始者の曽田政治が、フランスのプロヴァンス アントワン・ヴィアル社から5キロの種を北海道の方に持ち込んで栽培を始めました。戦時中ということもありましたし、輸入原料が相当高かったという背景があります」
初めて日本に持ちこまれたのは1937年。
当時、輸入が難しくなり、国内生産の必要性が高まっていたといいます。
栽培試験の結果、北海道が適地であることが分かり、札幌で栽培を開始したといいます。
ゆかりの地・札幌市南区南沢で「ラベンダーまつり」を毎年開催
ゆかりの土地があると聞き、向かった先は札幌市南区の南沢です。
地元の東海大学札幌キャンパスでは、毎年行われている「ラベンダーまつり」が開催されています。
(記者)「ここがラベンダー発祥の地とされるが?」
(学生)「へー」
(学生)「南区はラベンダーが有名だった気が…」
祭り会場の一角に設けられていたのは、南沢とラベンダーの歴史を紹介するパネル展です。
札幌市南沢にあった農場で、日本初のラベンダーオイル作りが行われたといいます。
(南沢地区町内会連合会 高畑修会長)「ここに植えられているのは南沢の苗の子孫。ずっとその系統が繋がっています」
南沢にはラベンダーの「発祥の地」の碑が、住宅街の片隅のラベンダーの花畑の中にありました。
札幌から香料用の商用栽培として富良野地方に広がっていったのです。
なぜラベンダーが富良野の観光資源に?
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「ラベンダーのエッセンシャルオイルや蒸留水を作っている」
(宮永キャスター)「香りが広がりますね」
上富良野町では町内で収穫されたラベンダーでアロマオイルなどを製造、観光に役立てています。
富良野地区がラベンダーの観光地として知名度が上がってきたのは1980年代です。
安い輸入香料が入ってきたため、商用栽培としては衰退していきました。
1980年代の上富良野町長も!きっかけは全国の旅行ブーム
当時の町長はー
(上富良野町 和田松ヱ門元町長)「だんだんと輸入物に押されて、今では5ヘクタールもないくらいになったんですよ。ようやく内地(道外)の若者が観光に憧れて来るものですから、鑑賞用にラベンダーを町営でやっている」
その後、転機となったのが1970年代からの全国的な旅行ブーム。
雑誌などに取り上げられ観光客が増加。
地元の人々が奮闘した結果、ラベンダー畑が観光資源に生まれ変わりました。
(かみふらの十勝岳観光協会 山本一大さん)「昭和52年ごろに、新聞・雑誌ですとかいろいろな媒体に紹介いただいて、上富良野のラベンダー、もとい富良野のラベンダーとして皆様に認知していただきました。これまでラベンダー農家が紡いできてくれた歴史をきっちり若い世代が受け継いで後世に残していきたい」
時代の波に翻弄されてなお人々が繋いできたラベンダー
ラベンダーは曽田香料がフランスから持ち込み、札幌で栽培を始め、富良野地区へと持ち込まれました。
富良野地方のラベンダーは時代と共に形を変えて人々が繋いできたということが分かりました。
時代の波に翻弄されるなか、ラベンダーに魅了された人々が今の景色を作り上げていったんですね。
