桂田被告にぶつけた“悲しみ”伝わらず…家族「怒りしかない」判決出てもやりきれない思い募る 知床
事故から4年、裁判で一緒に闘ってきた乗客の家族は「禁錮5年」の実刑判決に安堵する一方で、桂田被告に対する怒りとやりきれない思いに揺れていました。
(鈴木智也さんの父親)「本当に息子がこの事故で、どんな思いで当時、海に彼女と飛び込み、どれだけの恐怖を味わったかと考えると、本当につらく悲しい4年間でした。禁錮5年という判決が出たことに少し安心しました。いままでだれも責任を取っていなかったので、これで形はどうあれ桂田被告が判決を受けたことを息子に伝えたいです」
22歳の息子を亡くした父親です。
「禁錮5年」の判決に安堵する一方で、桂田被告の態度に不信感が募っていました。
KAZUⅠに乗船し帰らぬ人となった鈴木智也さん。
4年前、事故の一報をニュースで知った家族は、智也さんと連絡が取れず無我夢中で知床へ向かったといいます。
(鈴木智也さんの父親)「現地には暗かったけど行って、駐車場に息子の車を見つけたときに、確信に変わりました。やっぱり乗っていたんだと。冷たい海で何日もさまよっていたと思うと、本当にいまも思うだけで涙が出てきます」
バイクや釣りが好きで活動的だったという智也さん。
高校生の時にはバス停の待合所を新設するプロジェクトに参加。
智也さんのデザインが採用され、STVの取材を受けていました。
(鈴木智也さん(当時高校3年))「小さい模型からだったが、実際に実物大になって最初は実感できなかったがうれしい」
智也さんはこの経験がきっかけで、建築関係の会社に就職したといいます。
交際していた女性と一緒に知床を訪れた智也さん。
彼女の誕生日を祝うためでした。
両親は裁判の意見陳述で、桂田被告に直接思いを訴えました。
(鈴木智也さんの母親)「サプライズで彼女にプロポーズの予定だった。息子と彼女を忘れません。桂田被告を許しません」
(鈴木智也さんの父親)「彼女の自慢をしていた。結婚の話も楽しそうにしていた。息子は彼女を守れず悔しかったと思う」
知床にあった智也さんの車には、彼女に宛てた手紙とプレゼントが残されていました。
(鈴木智也さんの父親)「お嫁さんになってほしいと、手紙につづっていたのを読んで、本当に楽しい思い出がなんでこんな悲惨な思いをしなきゃならないのか、こんなに若い人が…言葉が出なかったですね」
事故の責任をだれも取ることがなく4年以上が経過。
法廷での態度や即日控訴した桂田被告に対し、怒りがこみあげます。
(鈴木智也さんの父親)「怒りしかない。私たちが裁判を通してつらい思いや悲しい思いをぶつけてきたが、何ひとつ受け止めてもらっていない。(桂田被告の)態度を見る限り、全く私たちの気持ちを受け止めていない。そういう思いです」
いまも行方不明のままとなっている小柳宝大さん。
父親は、判決を複雑な気持ちで受け止めました。
(小柳宝大さんの父親)「上限いっぱいの判決が下った安堵感と、以前から思っていたけど5年は短すぎるなという悲しい気持ちの両面を持ちました。いままではどうなるかなという気持ちでいたけど、これでひとつの区切りかなと。宝大も安心したかなと思いますね」
カンボジアの飲食店に勤務していた宝大さんは、同僚の伊藤嘉通さんと訪れた北海道旅行で、遊覧船に乗りました。
海に沈んだKAZUⅠの映像に映っていた黒いリュックは、宝大さんが背負っていたものです。
(小柳宝大さんの父親)「飽和潜水であがってきたリュックですね。カメラですね、ボロボロになっています」
父親はこれまで宝大さんのスーツを身につけ、すべての裁判を傍聴。
判決が言い渡された6月17日も、桂田被告から反省の態度は見られなかったといいます。
(小柳宝大さんの父親)「目をつぶったり開けたりしていましたからね、体を前後にゆする、そういう動作をしていましたから、変わらないなという悲しい気持ちもあります。言い渡された禁錮5年も、なにも感じていないのかなと、そういう気持ちを持ちました」
判決が出てもなお、心の傷は癒えることがなく、怒りとやりきれない思いが募るばかりです。