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20人死亡のトンネル事故から30年「教訓を受け継いで…」遺族の願い 当時の記者が見たものは…豊浜トンネル崩落事故

20人が犠牲となった「豊浜トンネル崩落事故」から30年が経ちました。

この長い時間を経ても忘れられない悲しみを抱いているのが遺族です。

いまの遺族の思い、そして変わらぬ願いを取材しました。

犠牲者の同級生「あっという間」数万トンの岩盤がトンネル押しつぶす

あの日から30年が経った2月10日。

北海道古平町にある慰霊碑には、犠牲者の同級生だったという男性が献花に訪れました。

(犠牲者の同級生)「あっという間だなという印象ですね。生きていてくれればな」

1996年2月10日午前8時10分ごろ、国道229号の豊浜トンネルで岩盤が崩落。

長さが最大70メートル、重さ数万トンともいわれる岩盤がトンネルを押しつぶしました。

通りかかった路線バスと乗用車が巻き込まれ、20人の安否が不明となりました。

巨大な岩盤を取り除く作業は難航し、家族は凍てつく寒さの中、無事を祈り続けました。

その思いもむなしく、発生から7日後、20人全員の死亡が確認されました。

30年経っても変わらない悲しみ 遺族「あれだけは忘れたい」

(中川乾さん)「見えているのが豊浜トンネルの余市側の出口ですね。こちら側の出口は事故当時から変わっていないです」

STV報道部の元記者・中川乾さんは、事故発生直後から現場に入り、取材を続けました。

最初に取材をしたのは、豊浜トンネルの余市側の出口でした。

この場所には2台の大型バスが止まり、家族が待機しながら救助を待っていました。

(中川乾さん)「家族のみなさんも情報が欲しいので、道路で時折救助関係者を見つけては今どうなっているんだというやり取りを見た」

中川さんが特に印象に残っているのが、犠牲者の遺体が運ばれたコミュニティーセンターです。

(中川乾さん)「夜も更けてという状況の中でご遺体が搬入された。その時のショックというのが見ていた私たちにも伝わってきました」

家族は想像を絶するほどの深い傷を心に負うことになりました。

中川さんは記者を離れた後も遺族の元を訪ねています。

古平町で菓子店を営む、田畑正さん72歳。

当時中学1年生だった長女の裕子さんを亡くしました。

30年の歳月が流れても悲しみが変わることはないと言います。

(田畑正さん)「みんな30年というけれど、私にとって30年という感覚はない。(長女の)同級生を見て『本来ならこうなんだろうな』と思うときはある。うちの子はまだ学生から変わっていないというのは悔しい」

友人と隣町まで出かけると言ってバスに乗った裕子さん。

悲しい対面をすることなりました。

(田畑正さん)「一番忘れたいのは海洋センターに行ったとき。確認作業があるんですよ。あれは忘れたい。この子の写真だけを頭に入れたい」

裁判は「平行線で終わった」事故の予見可能性を“判断せず”

なぜ、娘が犠牲になってしまったのかー

田畑さんら遺族の有志は、事故の責任を巡り裁判を起こしました。

札幌地裁は国に賠償金の支払いを命じたものの、事故を予見できたかどうかは判断しませんでした。

(田畑正さん)「(裁判は)平行線で終わった。でもある程度の主張も通った。(裁判は)やってよかったですよ」

誰もが通るトンネルで起きた崩落事故。

道路の安全対策に課題を突き付けました。

(中川乾さん)「毎日生活道路として使っているみなさんの気持ちを考えると、通るたびに思いはよぎりますね」

同級生を亡くした男性 現在は准教授に「事故が原動力…自分の使命」

室蘭工業大学の浅田拓海准教授です。

古平町出身の浅田さんは、亡くなった田畑裕子さんと小学校の同級生でした。

(室蘭工業大学 浅田拓海准教授)「ずっとテレビを眺めていて、同級生の名前が出てくるというのは衝撃でした。できるだけ早く発破して助けてあげたいという思いで見ていた」

大学で道路の安全対策を研究する浅田さん。

開発したのが小型カメラで道路を撮影し、AIが亀裂など検知する「HibiMiru」というシステム。

道内の自治体にも活用され、インフラを守る取り組みとして高く評価されています。

(室蘭工業大学 浅田拓海准教授)「(事故が)原動力になっている。(事故を)教訓に自分の使命として道路を管理していけるような技術者をどんどん出していきたい」

8日、慰霊碑の前で遺族会による法要が営まれました。

この30年の間に亡くなった人も少なくありません。

遺族の高齢化も課題となっています。

(長男を亡くした 本間鉄男さん)「我々もいつまででも生きてるわけでもない。無理してでも仏さん(慰霊碑)を守らなければならないのかなと」

(田畑正さん)「またこの時期が来たなと。この寒さのなかでその当時と同じ寒さだしね。そうなると思い出す部分もあるね」

この日、田畑さんに浅田さんからのビデオメッセージを見てもらいました。

(室蘭工業大学 浅田拓海准教授)「裕子さんとは短い期間でしたけれど、今でも遊んだ記憶が残っています。次世代を担う技術者を育てることが、同級生2人を亡くした私にできる精一杯の務めだと思う」

(田畑正さん)「子どものことを覚えていてくれてありがたく思っています。こういう事故をよりよく分析してもらって、安全安心なトンネルや道路を考えていってもらえればありがたい」

30年前のあの日、もし事故を防げていたなら、大切な家族の未来があったかもしれない。

同じ悲劇を繰り返さないために教訓を受け継いでほしい。

それが遺族の願いです。

02/22(日) 08:16

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