北方領土から強制退去 引揚船の乗船者名簿公開 自分や家族の名前に涙する元島民たち 北海道
戦後、北方領土から強制退去させられた元島民らについて、5月26日、引き揚げ船に乗っていた人の名簿が公開されました。
貴重な資料を前に、元島民らは涙を浮かべながら当時の記憶に思いをはせていました。
(根本記者)「こちらの会場では、北方領土からの引き揚げ船に乗っていた人の名簿が公開されています」
机に並ぶファイルには、北方領土の島々から強制退去させられ、引き揚げ船に乗っていたおよそ8800人分の氏名や島での住所などが記されています。
元島民などでつくる「千島連盟」によるとりまとめが終わり、道内では26日、初めて公開されました。
終戦時、北方領土にはおよそ1万7000人の日本人が暮らしていました。
そのうち半数ほどが自力で島を脱出しましたが、残る半数は引き揚げ船で樺太を経由して函館へ送られました。
公開されたのは、樺太から函館に向かったのべ16隻の乗船者名簿です。
終戦から80年のときを経て初めて目にする資料に、元島民らは必死に自分や家族の名前を探します。
(根本記者)「お名前ありましたか?」
(択捉島出身)「ありました!とってもうれしく思うし、できれば両親と話したかった」
(国後島出身)「家族5人なんです。いまはもう私しか生きていないんです。引き揚げてきたときのことは覚えています。もっこ(網)に載せられて。(船内では)親が腰に紐をつける。それを押さえてトイレに行った」
祖母が国後島出身で、元島民3世にあたる記者の私も名簿を見せてもらいました。
しばらく探していると…
(根本記者)「あった!ありました!奥山太郎というのが、わたしの曽祖父にあたる人物です。そして漢字は違うのですが、次のページにある奥山久子が私の祖母にあたります」
髙倉山丸という船の名簿のなかに名前が載っていました。
(根本記者)「本当に私の祖母と曽祖父の名前が記されていました。話としては聞いたことがあったのですが、本当にそういう歴史があったのだとわかる非常に貴重な資料です。感慨深い思いです」
時間の経過とともに元島民の記憶や証言が薄れゆくなか、残された記録から多くの人が当時のことに想いをはせていました。