LIVE HOUSE タムラジオ

第70回“DoYou名言集”

2021年3月19日(金)

『プロレスは底が丸見えの底無し沼』 by 井上義啓

週間ファイトというプロレス雑誌の編集長でありました井上義啓さんの名言です。

この言葉好きなんです。
僕、プロレス好きなんですけど、好きじゃない人からすると
なんでこんな八百長みたいなもの見てるんだ?こんなの演技だぞ!
という事なんですよね。
これは僕が小さい時から言われてました。
親父にもよく言われたな。

好きじゃない人、興味のない人は口に出さなくとも
おおよそそういう見方なんじゃないのかなと思うんです。
僕も今となると言わんとする事はわかります。
その人たちの言葉を借りるのならば、
プロレスはある種の演技であり勝敗も決まってるんじゃないの?
レスラーのキャラクターも作られてるんじゃないの?全てが台本通りなのでは?
つまり、そこが丸見えなんですよ。
なんだけど、そんなプロレスに何故だか引き込まれるんです。
僕は思うんです。
プロレスの魅力はそこが丸見えという厳しいステージに立たされた人間が見せる
人間力の限界、その向こう側なんじゃないかと。

要は八百長だ演技だ作られた世界だという中で
自分の気持ちを持って戦う、戦える、
戦ってしまう事の純粋さと狂気というんですかね。
そこが丸見えであればあるほど、
なんでこんなになってまでやり合っているんだよ
という純粋な狂気に引き込まれていくんですよ。
プロレスって生でやるものだから、その時の生の感情が入って、
形を変えて底のない沼になっていったりするんですよ。

最近はメイキングを売っていく時代だっていう言葉もありまして、
エンターテインメントと呼ばれる言葉の中でもそれが出来上がる過程で
あったり何故こうなるという理由であったり、
やる側も見る側も理解して採取的な形をみんなで
共有しようというものが多い気もするんですけど
僕はエンターテインメントに関しては何かの終わりを見て
納得して安心したいというよりは終わりのない限界のないものを見て
かっこいいってぶっ飛ばされたいんですよね。

だからプロレスで言ったら試合の内容や結果も大事なんですけど
レスラー自身のエネルギー、人間力にやられたいんだな。

それは形や文字に残らないものなんだけど、
自分自身でめいいっぱい感じられるもの、
自分だけが手に入れられるものなんですよね。

 

 

M「同じ風に吹かれて」(SCOOBIE DO

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