今朝の放送内容 5月9日(火)
2023年5月9日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●岸田総理 日韓関係の改善加速を強調「新しい時代を切り開いていきたい」
●能登地震 被災地の珠洲市で学校再開
●陸自ヘリ事故 6人目の死者は34歳の2曹と確認
●石狩市で軽乗用車が単独事故 9歳男児乗車も命に別状なし
●小学校の女性教諭殺害 刺し傷10か所以上 強い殺意か 釧路町
●オーストラリアの博物館が保管 アイヌ民族の遺骨が北海道に到着
●東京・足立区の西新井駅でコーヒー缶が破裂 女性2人けが
●東京・銀座の腕時計店に強盗 男4人の身柄確保
●大型連休中のJR北海道の利用者 前年より大幅増加
●札幌・ススキノラフィラ跡地 施設名は「COCONO SUSUKINO」
●きょうのメジャーリーグ
●柔道・世界選手権 阿部一二三選手・阿部詩選手が2年連続兄妹Ⅴ
●Bリーグチャンピオンシップ12日から 千葉J・富樫勇樹選手「三冠目指す」
●ファイターズ きょうからソフトバンク3連戦
BCリーグ・茨城 アレン・ハンソン内野手と契約 ドミニカ出身
●プロ野球・来季オールスター戦第1戦 エスコンFで開催
●社会人野球チーム「トッキュウ・ブルーローズ」設立 岩見沢では70年ぶり
●北海道フロンティアL 士別サムライブレイズ・中村勝新監督が開幕投手
●スケートボードXゲーム千葉大会12日開幕 開心那選手「また表彰台に」
●能登地震 被災地の珠洲市で学校再開
●陸自ヘリ事故 6人目の死者は34歳の2曹と確認
●石狩市で軽乗用車が単独事故 9歳男児乗車も命に別状なし
●小学校の女性教諭殺害 刺し傷10か所以上 強い殺意か 釧路町
●オーストラリアの博物館が保管 アイヌ民族の遺骨が北海道に到着
●東京・足立区の西新井駅でコーヒー缶が破裂 女性2人けが
●東京・銀座の腕時計店に強盗 男4人の身柄確保
●大型連休中のJR北海道の利用者 前年より大幅増加
●札幌・ススキノラフィラ跡地 施設名は「COCONO SUSUKINO」
●きょうのメジャーリーグ
●柔道・世界選手権 阿部一二三選手・阿部詩選手が2年連続兄妹Ⅴ
●Bリーグチャンピオンシップ12日から 千葉J・富樫勇樹選手「三冠目指す」
●ファイターズ きょうからソフトバンク3連戦
BCリーグ・茨城 アレン・ハンソン内野手と契約 ドミニカ出身
●プロ野球・来季オールスター戦第1戦 エスコンFで開催
●社会人野球チーム「トッキュウ・ブルーローズ」設立 岩見沢では70年ぶり
●北海道フロンティアL 士別サムライブレイズ・中村勝新監督が開幕投手
●スケートボードXゲーム千葉大会12日開幕 開心那選手「また表彰台に」
今朝の選曲
【5時台】
M「ヒーロー/ FUNKY MONKEY BABYS 」
【6時台】
M「全力少年/スキマスイッチ」
【7時台】
M「きらめき☆MMMBOP /ハンソン」
M「ヒーロー/ FUNKY MONKEY BABYS 」
【6時台】
M「全力少年/スキマスイッチ」
【7時台】
M「きらめき☆MMMBOP /ハンソン」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 伝説の川崎フロンターレ戦 ~ウーゴ・マラドーナ~ 」
スポーツ界にはきょうだいで活躍するアスリートも数多くいます。
例えばきょうだいで見事金メダルを獲得した柔道の阿部 一二三選手、阿部詩選手、
身近なところでは今季コンサドーレ札幌に加入した浅野雄也選手の兄は、
去年のワールドカップドイツ戦で決勝ゴールを挙げた日本代表浅野拓磨選手。
そのコンサドーレ札幌にもかつてスーパースターを兄に持つ選手がいました。
それが、ご存命なら5月9日に54歳のお誕生日だった
アルゼンチン出身のサッカー選手「ウーゴ・マラドーナ」さん。
本名ウーゴ・エルナン・マラドーナさんは
1969年5月9日 アルゼンチン・ブエノスアイレスで生まれます。
実の兄は元アルゼンチン代表でサッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナさん。
W杯ではアルゼンチンを優勝に導き、大会MVPに選ばれました。
8人きょうだいの5番目だったのがこのディエゴ・マラドーナさんでしたが、
ウーゴ・マラドーナさんはその末っ子で8番目でした。
ウーゴさんは兄のディエゴさん同様、若い頃からその才能に注目され、
若干16歳の1985年、ブエノスアイレスを本拠地とするサッカークラブ、
アルヘンティノスでプロデビュー。
すると、アルゼンチンJrユース代表としてこの年の夏にFIFA U-16世界選手権に出場。
さらに18歳の1987年には兄のディエゴさんが在籍するイタリアのナポリへの移籍。
ただ、この時ナポリには当時世界最高クラスのFWだったカレカさんを獲得したため、
外国人枠によりアスコリにレンタルされてしまいます。
その後は伸び悩み、欧州のクラブを転々とするようになります。
そんなウーゴさんに転機が訪れたのは1992年。
当時東海リーグ所属だった日本のPJMフューチャーズ、現在のサガン鳥栖と契約し入団。
現在JリーグはJ1~J3まで組織化されていますが、1993年~1998年までは
トップリーグをJリーグ、Jリーグ入りを目指すリーグをJFLというふうに分けられていました。
当時のPJMフューチャーズは静岡県西部3部リーグからスタート、
順調に昇格を果たし発足から91連勝で1992年に東海社会人サッカーリーグで優勝、
1993年からジャパンフットボールリーグ(JFL)2部に昇格という時期でした。
そこで、将来のJリーグ参入の目玉としてディエゴ・マラドーナさん獲得を目指していて、
ウーゴさんの移籍は「兄を呼び入れるための布石だ」と言われます。
結果的に兄弟でのプレーはディエゴさんの薬物問題によって実現することはありませんでしたが、
偶然にもこの移籍によりウーゴさんの選手生活が最も輝きを放ったのが
日本でのプレー期間であると言われます。
1995年から1996年には福岡ブルックス・・現在のアビスパ福岡に移籍。
現在J1のアビスパ福岡ですが当時は1994年にJリーグ準会員という時代。
そんな中、1995年加入したウーゴさんなどの活躍もあり、24勝6敗の成績でJFL優勝。
見事1996年からのJリーグ加盟を決めます。
そして、ウーゴさんは1997年から新天地へ移籍。
それが前の年、北の大地の誕生したコンサドーレ札幌でした。
発足当初のコンサドーレはJリーグから移籍してきたプロ選手と母体となった
東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在するチーム編成。
目玉選手としてJリーグ初年度鹿島でジーコさんと共にプレーし活躍した
アルシンドさんを獲得しましたが、暴言などで退場処分となった末に自ら申し出て退団するなど、
Jリーグ入りを目指す中でなかなかベストメンバーで戦えず
初年度でのJリーグ入りはなりませんでした。
そんな中、改革が行われたのが1997年。
元ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスさんを監督に迎え、
前年まで所属していた選手の多くが退団。代わりにパナマ代表のFWバルデスさん、
磐田からGKのハーフナー・ディド(ハーフナー・マイクさんの父)さん、
その他多くの日本人選手と共にウーゴさんを獲得します。
すると『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われた
ナビスコカップ予選リーグでは早速V川崎、G大阪、横浜MのJリーグ勢を抑え、
2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績を残します。
リーグ戦が開幕後も開幕から6連勝と快進撃を続け、最終的には26勝4敗でJFL優勝!
見事Jリーグ昇格を果たしました。
中でも、当時のホーム厚別競技場では無類の強さを誇ります。
前年の1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、
厚別競技場でリーグ戦では何と21勝0敗の成績。
これがいまだに厚別競技場が「聖地」と呼ばれるゆえんで、
『厚別不敗神話』『厚別神話』という言葉も、この頃生まれます。
中でもコンササポーターの間で「伝説」と言われているのが、
5月25日の第7節川崎フロンターレ戦です。
この試合は前半0-2とリードされ、迎えた後半7分、ウーゴさんのゴールで1点差に迫るも、
後半43分に1-3とされ絶望的な展開となります。
この状況で仲間を鼓舞したのがGKのディドさん。
「まだ5分ある!」あきらめ気味のコンサイレブンを大きな声で叱咤します。
すると、後半44分、ゴール正面に、後ろからふわっと浮いたボールに
FWバルデスさんが足で合わせ、飛び出してきていた、相手GKの頭をふわっと超えゴール。
これで2-3。厚別はボルテージが最高潮、歓声と泣き声が入り混じります。
時計の表示はアディショナルタイム。奇跡を信じ、1万人がコンサドーレの大合唱。
するとDFペレイラさんが左サイドを駆け上がり、なんとかCKを得ます。
ここにいち早く走ってきたのがウーゴさん。
いつも左のCKは後藤選手がけりますがこの時ばかりは「俺がける!!」という気迫が前面にでます。
これがラストプレーと思ったコンサドーレイレブンは、太田選手を残して全員がゴール前へ。
もちろんGKのディドさんもゴール前!ウーゴさんの蹴ったCKはゴール前!
ニアサイドの選手のヘッドからファーサイドに流れたボールにバルデスさんがジャンプ!
頭で地面にたたきつけたボールはゴール右隅へゴール!
後半アディショナルタイムに奇跡の2得点で同点!
そして延長後半5分、右を抜けた後藤さんがゴール正面のバルデスさんへ、
相手DF二人の間を強引にぬけて、ボールはゴール左隅へ!
これが当時あったルールのVゴール!
バルデスさんのハットトリックでこの瞬間、勝利が決定した試合でした。
結局コンサドーレはリーグの最終戦も勝利して全16チーム中26勝4敗、
ホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たしました。
アビスパ福岡、コンサドーレ札幌がJリーグに昇格した際の主力だったウーゴ・マラドーナさん。
昇格請負人として、今も伝説的な存在となっています。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 伝説の川崎フロンターレ戦 ~ウーゴ・マラドーナ~ 」
スポーツ界にはきょうだいで活躍するアスリートも数多くいます。
例えばきょうだいで見事金メダルを獲得した柔道の阿部 一二三選手、阿部詩選手、
身近なところでは今季コンサドーレ札幌に加入した浅野雄也選手の兄は、
去年のワールドカップドイツ戦で決勝ゴールを挙げた日本代表浅野拓磨選手。
そのコンサドーレ札幌にもかつてスーパースターを兄に持つ選手がいました。
それが、ご存命なら5月9日に54歳のお誕生日だった
アルゼンチン出身のサッカー選手「ウーゴ・マラドーナ」さん。
本名ウーゴ・エルナン・マラドーナさんは
1969年5月9日 アルゼンチン・ブエノスアイレスで生まれます。
実の兄は元アルゼンチン代表でサッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナさん。
W杯ではアルゼンチンを優勝に導き、大会MVPに選ばれました。
8人きょうだいの5番目だったのがこのディエゴ・マラドーナさんでしたが、
ウーゴ・マラドーナさんはその末っ子で8番目でした。
ウーゴさんは兄のディエゴさん同様、若い頃からその才能に注目され、
若干16歳の1985年、ブエノスアイレスを本拠地とするサッカークラブ、
アルヘンティノスでプロデビュー。
すると、アルゼンチンJrユース代表としてこの年の夏にFIFA U-16世界選手権に出場。
さらに18歳の1987年には兄のディエゴさんが在籍するイタリアのナポリへの移籍。
ただ、この時ナポリには当時世界最高クラスのFWだったカレカさんを獲得したため、
外国人枠によりアスコリにレンタルされてしまいます。
その後は伸び悩み、欧州のクラブを転々とするようになります。
そんなウーゴさんに転機が訪れたのは1992年。
当時東海リーグ所属だった日本のPJMフューチャーズ、現在のサガン鳥栖と契約し入団。
現在JリーグはJ1~J3まで組織化されていますが、1993年~1998年までは
トップリーグをJリーグ、Jリーグ入りを目指すリーグをJFLというふうに分けられていました。
当時のPJMフューチャーズは静岡県西部3部リーグからスタート、
順調に昇格を果たし発足から91連勝で1992年に東海社会人サッカーリーグで優勝、
1993年からジャパンフットボールリーグ(JFL)2部に昇格という時期でした。
そこで、将来のJリーグ参入の目玉としてディエゴ・マラドーナさん獲得を目指していて、
ウーゴさんの移籍は「兄を呼び入れるための布石だ」と言われます。
結果的に兄弟でのプレーはディエゴさんの薬物問題によって実現することはありませんでしたが、
偶然にもこの移籍によりウーゴさんの選手生活が最も輝きを放ったのが
日本でのプレー期間であると言われます。
1995年から1996年には福岡ブルックス・・現在のアビスパ福岡に移籍。
現在J1のアビスパ福岡ですが当時は1994年にJリーグ準会員という時代。
そんな中、1995年加入したウーゴさんなどの活躍もあり、24勝6敗の成績でJFL優勝。
見事1996年からのJリーグ加盟を決めます。
そして、ウーゴさんは1997年から新天地へ移籍。
それが前の年、北の大地の誕生したコンサドーレ札幌でした。
発足当初のコンサドーレはJリーグから移籍してきたプロ選手と母体となった
東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在するチーム編成。
目玉選手としてJリーグ初年度鹿島でジーコさんと共にプレーし活躍した
アルシンドさんを獲得しましたが、暴言などで退場処分となった末に自ら申し出て退団するなど、
Jリーグ入りを目指す中でなかなかベストメンバーで戦えず
初年度でのJリーグ入りはなりませんでした。
そんな中、改革が行われたのが1997年。
元ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスさんを監督に迎え、
前年まで所属していた選手の多くが退団。代わりにパナマ代表のFWバルデスさん、
磐田からGKのハーフナー・ディド(ハーフナー・マイクさんの父)さん、
その他多くの日本人選手と共にウーゴさんを獲得します。
すると『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われた
ナビスコカップ予選リーグでは早速V川崎、G大阪、横浜MのJリーグ勢を抑え、
2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績を残します。
リーグ戦が開幕後も開幕から6連勝と快進撃を続け、最終的には26勝4敗でJFL優勝!
見事Jリーグ昇格を果たしました。
中でも、当時のホーム厚別競技場では無類の強さを誇ります。
前年の1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、
厚別競技場でリーグ戦では何と21勝0敗の成績。
これがいまだに厚別競技場が「聖地」と呼ばれるゆえんで、
『厚別不敗神話』『厚別神話』という言葉も、この頃生まれます。
中でもコンササポーターの間で「伝説」と言われているのが、
5月25日の第7節川崎フロンターレ戦です。
この試合は前半0-2とリードされ、迎えた後半7分、ウーゴさんのゴールで1点差に迫るも、
後半43分に1-3とされ絶望的な展開となります。
この状況で仲間を鼓舞したのがGKのディドさん。
「まだ5分ある!」あきらめ気味のコンサイレブンを大きな声で叱咤します。
すると、後半44分、ゴール正面に、後ろからふわっと浮いたボールに
FWバルデスさんが足で合わせ、飛び出してきていた、相手GKの頭をふわっと超えゴール。
これで2-3。厚別はボルテージが最高潮、歓声と泣き声が入り混じります。
時計の表示はアディショナルタイム。奇跡を信じ、1万人がコンサドーレの大合唱。
するとDFペレイラさんが左サイドを駆け上がり、なんとかCKを得ます。
ここにいち早く走ってきたのがウーゴさん。
いつも左のCKは後藤選手がけりますがこの時ばかりは「俺がける!!」という気迫が前面にでます。
これがラストプレーと思ったコンサドーレイレブンは、太田選手を残して全員がゴール前へ。
もちろんGKのディドさんもゴール前!ウーゴさんの蹴ったCKはゴール前!
ニアサイドの選手のヘッドからファーサイドに流れたボールにバルデスさんがジャンプ!
頭で地面にたたきつけたボールはゴール右隅へゴール!
後半アディショナルタイムに奇跡の2得点で同点!
そして延長後半5分、右を抜けた後藤さんがゴール正面のバルデスさんへ、
相手DF二人の間を強引にぬけて、ボールはゴール左隅へ!
これが当時あったルールのVゴール!
バルデスさんのハットトリックでこの瞬間、勝利が決定した試合でした。
結局コンサドーレはリーグの最終戦も勝利して全16チーム中26勝4敗、
ホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たしました。
アビスパ福岡、コンサドーレ札幌がJリーグに昇格した際の主力だったウーゴ・マラドーナさん。
昇格請負人として、今も伝説的な存在となっています。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は庭野ほのかANが担当
「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!