北海道ライブ あさミミ!

今朝の放送内容 2月21日(火)

2023年2月21日(火)

今朝の放送内容

今朝の主なニュース・スポーツ情報

●バイデン氏がキーウ電撃訪問 ゼレンスキー氏と会談
●北朝鮮ミサイル2発発射 異例の迅速発表
●きのう道内は日本海側や太平洋側で暴風雪 足場が崩れ停電も
●中央区の2階建て住宅で火事 1人死亡
●障害者支援施設で虐待か 介護福祉士の女を暴行で逮捕 稚内市
●岸田総理、ウクライナ侵攻1年の24日にG7首脳オンライン会合開催
●通信業界4団体 闇バイトSNS書き込み禁止指針を改訂
●打ち上げ中止「H3」1号機 原因調査報告の会議をあす開催
●道内感染者240人 全国6793人
●知床・観光船沈没事故 JCIが国に業務改善計画を報告 検査員の体制強化へ
●トルコ大地震 捜索活動の大部分が終了
●漫画家・松本零士さん死去 85歳 死因は急性心不全 数々の作品を残す

●WBC侍ジャパン 3/6、7の強化試合で”お助け侍”投入へ 投手の登板間隔確保のため
●ダルビッシュ投手 休養日トレーニングで左投げスライダー 栗山監督「素晴らしい精度」
●大リーグ メッツ千賀投手、ツインズ前田投手が実戦形式に初登板
●NBAネッツ渡辺雄太選手 平均得点最多の6.5点 3点シュート精度向上
●スピードスケートW杯 
 女子マススタート・堀川桃香選手がW杯初優勝
 女子1000m・高木美帆選手が3位
 男子1000m・新濱立也選手6位、山田和哉選手が7位
●スキージャンプW杯団体第3戦 日本が8位 
●いわて国体 
 クロスカントリー成年男子40キロで北海道が7年ぶり優勝 女子20キロで北海道は3位 
 アルペン大回転・少年男子 直江優作選手が優勝
●コンサドーレ 25日ホーム開幕戦 キムゴンヒ選手「今季初勝利狙っていく」
●ファイターズ沖縄キャンプ きょうから第5クール

今朝の選曲

【5時台】
M「流星/吉田拓郎」

【6時台】
M「雨が空から離れたら/熊木杏里」
M「青い地球/ささきいさお」

【7時台】
M「オーナメンズ・オブ・ラブ/ T—スクエア」

  • 北海道ライブ あさミミ!

あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス

八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。

今回は「 ミスターブレーブス 長池 徳士 」

21日に79歳のお誕生日を迎えるのが
元阪急(現オリックス)のホームラン王、長池徳士、本名長池徳二さん。
長池さんは1944年2月21、徳島県鳴門市生まれ右投右打の外野手。
撫養高校(現在の徳島県立鳴門渦潮高校)では
2年生の1960年、エースとして秋季四国大会で優勝。
翌1961年春の選抜への出場を決めますが、初戦敗退。
夏も県予選準々決勝で敗れ、甲子園には届きませんでした。
ただ、素質を買われ南海ホークスのテストを受けます。
しかし、鶴岡監督に「使い物になるには4年はかかるな。
遊びに行ったつもりで大学行ってこい」と言われ、
高校卒業後は法政大学経営学部へ進学、大学で野球を続けます。

法大では早々に肩を痛め投手を断念。
最初は捕手へ転向しましたが投手の球を受けてばかりで
「打撃練習ができない」という理由から外野手に転向を直訴。
すると3年生の1964年秋季リーグには首位打者を獲得。
4年生の1965年春季リーグでは優勝に貢献します。
六大学リーグ通算60試合、打率.286、3本塁打、30打点。
後にホームラン王を獲得する長池さんは法大時代、
長距離打者というわけではありませんでした。

そして大学進学を勧めた鶴岡監督のいる南海入団するという約束になっていましたが、
長池さんが卒業するタイミングからプロ野球はドラフト制度を導入。
すると阪急ブレーブスが1965年のドラフトで1位指名。
今もなお続くドラフトの1期生入団した方でもあります。
長池さん入団後は体が硬く、特に内角球が全く打てませんでしたが、
当時の外国人助っ人「スペンサーと並ぶ日本人のスラッガーを作りたい」という
西本幸雄監督の要請により青田昇コーチが指導。
徹底した内角打ちの練習が行われたそうです。
当初は引っ張れないどころか当たりもせず、
ムキになって詰まってばかりで右の掌が腫れあがったこともあったそうですが、
青田コーチの「ボールの内にグリップを入れて、内側から打て」とアドバイスを聞き、
それを会得するために練習を繰り返しているうちに左肩にアゴを乗せ、
腕を大きく後ろに引いて大きくスタンスをとる独特のフォームが生み出され、
長池さんの代名詞となります。

この独特の打撃フォームは功を奏し、
1年目の1966年はわずか68試合出場打率.263、7HR,22打点の成績でしたが、
2年目の1967年には開幕から4番として起用され、
6月には2試合にまたがって4打席連続本塁打を放つなど活躍。
大学通算3HRの打者が、プロの指導で打率.281、27HR、78打点でシーズンMVPを獲得、
青田コーチの指導と長池さんの努力が実ったシーズンとなり、阪急の初優勝に貢献しました。
プロ4年目の1969年に長池さんは、打率.316・41本塁打・101打点の数字を残し、
本塁打王と打点王の2冠王を獲得。
その頃パ・リーグの本塁打王を8年連続で獲得していた
あの野村克也さんの9年連続本塁打王を阻止します。

プロ6年目の1971年、5月28日にヒットが生まれると、
それ以降の試合は毎試合必ず1本はヒットを打ち続け、
ついに7月6日、第一打席にホームランを放ち32試合連続ヒットを達成。
後に1979年カープの高橋慶彦さんに抜かれはしましたが、
未だにパ・リーグ記録となっているのがこの32試合連続安打というものです。
ちなみに、この試合はそのあと2本本塁打を放ち3打席連続本塁打も記録、
32試合の間の打率.424、16HR、40打点。
シーズン最終的な成績は打率.317・40本塁打・114打点で2度目のMVPを受賞し、
リーグ優勝にも貢献します。

ところが、1970年、1971年と2年連続でライバル関係にあった
東映フライヤーズ(現、北海道日本ハムファイターズ)大杉勝男さんに本塁打王を許し、涙をのみます。
特に1971年は長池さんが40本塁打を記録しながら大杉さんが41本塁打で本塁打王を獲得したため、
「大杉に勝つにはまず40本打たねば。」と大いに意識していたそうです。
1972年も長池さんが以前から患っていたアキレス腱と肘の故障で1ヵ月ほど休んでいる間に、
大杉さんは5月に月間15本塁打を放ち、オールスターまでに15本の差をつけられます。
ただ、長池さんも後半戦から猛スパートをかけ、
9月には当時プロ野球記録の月間15本塁打を達成(これは後に門田博光さんに破られるまで日本記録でした)。
そして、大杉さんが40本、長池さんが39本で迎えた最終試合のロッテ戦では、
長池さんは2本塁打を放ってひっくり返し、逆転本塁打王となります。
最終戦での逆転本塁打王は史上初で、阪急ベンチはお祭り騒ぎとなり、
最大差の逆転劇として今も語り草となっている熾烈な本塁打王争いが繰り広げられたシーズンでした。

長池さんの功績は引退後も続きます。
引退後は背番号3のまま、阪急一軍打撃コーチを務めるなど、
解説やパ・リーグ各球団のコーチも務めますが、
中でも1985年に西武ライオンズのコーチを引き受けたのは衝撃でした。
理由は、広岡達朗監督に『秋山幸二を4番にして欲しい』という一言が
決め手であったと言われているからです。
かつて自身も経験した日本刀で藁を切らせる指導法を取り入れ、
入団4年間で通算4本塁打であった秋山さんが、いきなりシーズン40本塁打をマーク。

その後、南海では佐々木誠さん、後に横浜ベイスターズでは
鈴木尚典さん・石井琢朗さん・波留敏夫さん、ロッテでは
小坂誠さん・福浦和也さんを育てるなど、
パ・リーグの強打者を次々と育て上げました。
自分も「作り上げられたスラッガー」ならば、他の選手もそうできる・・
こうした信念のもと多くの功績を残された長池さん。
もし、今の選手を覚醒させるとしたら、どんな言葉やアドバイスを送るのでしょうか。

毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」

月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
 
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
 
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
 
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
 
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
 
 
STVラジオをradiko.jpで聴く