北海道ライブ あさミミ!

今朝の放送内容 6月28日(火)

2022年6月28日(火)

6月28日(火)

今朝の主なニュース・スポーツ情報

●「電力ひっ迫注意報」きょうも継続
●あすの道内に「電力ひっ迫準備情報」
●G7サミット ロシア産石油上限価格設定へ
●帯広と苫小牧で交通事故相次ぐ
●南区で女児誘拐しわいせつ 男を逮捕
●北区強盗未遂事件 男を送検
●道内感染者318人 全国9572人
●薬の過剰摂取で女性放置 医師の男らを逮捕
●USB紛失「別の業者に委託」
●五輪招致へ 秋元札幌市長が長野市を視察

●きのうの大リーグ エンゼルス大谷翔平選手は2打数無安打
 パドレス・ダルビッシュ投手は6回9奪三振も4勝目ならず
●きのうのプロ野球結果 ロッテがソフトバンクに8-1の快勝
●プロ野球フレッシュオールスターゲーム2022 ファイターズからは3選手
●バスケU17W杯代表メンバー発表 レバンガU18内藤耀悠選手が選出
●大相撲名古屋場所番付発表 一山本が前頭13枚目
●ファイターズ きょうから西武2連戦 近藤健介選手が1軍復帰へ
●北京冬季五輪 スノーボード女子パラレル大回転・竹内智香選手が現役続行意欲
●五輪競技・近代五種に「障害物レース」試験導入 

今朝の選曲

【6時台】
M「素直になりたい/ Hi—FiSET 」

【7時台】
M「モダン・ガール/シーナ・イーストン」
  • 北海道ライブ あさミミ!

あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス

八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。

今回は『 完全試合ヒストリー 』

6月28日は「パフェの日」だということをご存知でしょうか。
これは1950年のこの日、巨人の藤本英雄投手が日本プロ野球史上初の
パーフェクトゲーム(完全試合)を達成したことに因み、
「パフェ(parfait)」がフランス語で「完全な(パーフェクト)」という意味であることから
制定されたということです。

パフェの日制定のきっかけとなった藤本英雄さんは1918年5月18日、
韓国プサン生まれの投手で、通算200勝を達成している戦前戦後の名投手でした。
キャリアの中で最も輝いた年は1943年、実にこの年は46試合の先発・・
ちなみに現代のプロ野球の先発投手は1年で26試合ほどしか投げません。
しかも、この年藤本さんはリリーフ登板も10試合こなしていますの
で登板数だけで56試合もあった年ですが、これが84試合制での数字ですから、
ほぼ毎試合のように投げての結果でした。
そして叩き出した数字はなんと防御率0.73!いまだこの記録は破られていないNPB記録で、
しかもこの年は完封を19試合!この1シーズン19完封もいまだNPB記録で、
実に34勝を挙げ最多勝を獲得しました。

ただ、この記録を出せたのには理由がありまして、
1943年と言えばちょうど日本は太平洋戦争真っ只中の時代。
選手の中にも戦地に赴いた方がいた時代であるというのと、道具も粗悪なもので、
ボールなんて全然飛ばない時代でもありました。
その証拠にこの年のホームラン王は4人誕生していますが、その数はたったの4本。
ちなみに今年は既にノーヒットノーラン4人達成していますが、
1シーズンに4人達成したのはこの1943年以来ということで
「超投高打低」の時代であったことがよくわかります。
そんな藤本さんが完全試合を達成したのが1950年の6月28日ですが、
この試合完全試合達成のお祝い金として球団から「5万円」が贈られたそうです。
今のお金に換算すると約100万円~数千万くらいもらえたことになりますが
全て返済に消えたそうです。

続いて史上2人目の達成者は武智文雄さん。
1926年11月4日岐阜県出身の投手で、ノンプロを経て1950年に近鉄に入団。
1955年6月19日、大阪球場で行われたダブルヘッダー第2試合の大映戦で、
プロ野球史上2人目の完全試合を89球6奪三振で達成しました。
これだけ三振が少ない中での達成ということは、完全試合はエラーもできませんので、
この時の野手陣は非常に守備が安定していたんだなぁといことがわかります。

続いて3人目は宮地惟友さん。
1932年1月28日生まれ、石川県出身の投手で、
ノンプロを経て1952年に当時の国鉄スワローズへテスト入団した方です。
完全試合は1956年9月19日、地元・金沢の石川県営兼六園野球場で行われた対広島カープ戦で、
史上3人目。昭和生まれとしては初の完全試合を、わずか79球で達成。
これは現在でも日本プロ野球最少球数での記録となっています。

4人目はご存知NPB最高の通算400勝の金田正一さん。
記録達成は1957年8月21日対中日戦でしたが、
登板の前日にお腹を壊して体調を崩した中での記録達成だったそうです。
しかも、達成直前の9回一死でバッター酒井敏明選手のハーフスイングの判定を巡って
中日が猛抗議して、実に43分間の中断がありました。
しかし、金田さん全く動じず、再開後に対戦した2人の打者を共に全て空振りの3球三振に仕留め、
記録達成となりました。ちなみにNPBの公式戦で、
左腕投手で完全試合を達成したのは金田さんただ1人です。

ここまで4人の完全試合達成投手をご紹介してきましたが、
藤本英雄さん、それから金田正一さんは多少野球を知っている方ならご存知だとは思います。
実は武智さんプロ通算100勝、宮地さん33勝ということで、
4人目まで名球会入りの指標である200勝到達者は藤本さんと金田さんのみ。
それどころか、以降16人目の佐々木朗希投手まで200勝はこの二人だけ。
中でも7人目に達成の森滝義巳さんはプロ通算でも16勝しか挙げていない方です。
その森滝さんが完全試合を達成した1961年6月20日の中日ドラゴンズ戦ですが、・・
森滝さん自身、この日に先発するとは思っておらず、前日12時過ぎまで六本木で飲んでいて、
軽い二日酔いで球場に行っての記録達成しちゃったというすごいエピソードも残ってるくらいです。
つまり、ノーヒットノーランは各チームのエース格の投手が達成する傾向があるのに比べ、
完全試合は「偶然の産物」的な要素も含まれているというのが面白い特長です。

そんなエピソード面でユニークな2人をご紹介しましょう。
まずは史上8人目の達成者佐々木吉郎さん。1962年当時の大洋ホエールズに入団。
プロ5年目の1966年5月1日の対広島戦で完全試合を達成しているんですが、
この試合は佐々木さんにとってこのシーズン初先発でした。
実は本当の先発予定は左腕の小野正一さんで、佐々木さんは広島の右打者を交代させる為の
「偵察オーダー」で1回終了時点で交代の予定だったそうです。
当時は予告先発なんかありませんから、先発の予想が外れると、
オーダーを多少組み替えなきゃいけませんので、わざと前日先発して、
今日は投げる予定のない投手を、オーダーに組み込む「偵察メンバー」という作戦がありました。
1回を三者凡退に切り抜けた佐々木さん。
本来ならここでお役御免ですが、当時の別所毅彦投手コーチから
「ヒットを1本も打たれていないから打たれるまで投げてこい」と言われて続投。
なんと、あれよあれよと最後まで1本のヒットも打たれることなく完投。
つまり、完全試合を達成してしまったという投球でした。

そして、平成年間唯一の完全試合は当時巨人の槇原寛己さん。
年に一度の九州シリーズ1994年5月18日に福岡ドーム広島戦で達成しました。
普段東京ドームを本拠地にしている巨人ですが、
全国的に人気があるために北海道や東北、九州でも主催試合は行っていた時代でした。
中でも歓楽街のある札幌や福岡遠征は選手も楽しみにしていて
槇原さんも試合の前々日に門限を破って中洲へ飲みに行ってしまったそうなんです。
ところが、当時の堀内恒夫投手コーチに見つかってしまって一度は「外出禁止」をくらいます。
ただ、この時槇原さん既に31歳。いい大人が外出禁止なんて・・ということで、
「もし登板する5/18に勝ち投手になったら解除してもらえますか?」と持ち掛け、
この試合に臨み、勝利投手どころか見事に完全試合を達成しちゃったというエピソードがあります。

節目の記録は積み重ねですが、完全試合、ノーヒットノーラン、サイクル安打は
誰もが達成する権利をもって毎試合臨みます。
思えば飲んだ最後の締めにパフェを食べる「締めパフェ」は札幌が発祥と言われています。
記録づくめの年、「締めのパーフェクト」「締めパフェ」は
速ければ今週末にも札幌で生まれるかもしれません。

毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」

月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
 
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
 
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
 
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
 
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
 
 
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