今朝の放送内容 2月14日(火)
2023年2月14日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●トルコ大地震 死者3万5千人超 治安悪化も懸念
●中国外務省「米国の気球が去年から十数回、領空に侵入」と主張
●雪山の中から80代女性発見 落雪に巻き込まれ死亡か 深川市
●ベトナム人男性刺殺 男に懲役15年の判決
●“核のごみ”最終処分場選定 自治体向けの説明会を開催
●21年の道東赤潮被害90億7千万円 16日に最新の被害額公表
●巨額投資詐欺 無人島にリゾート「ネバーランド計画」
●道内感染者324人 全国9380人
●通信障害のNTTドコモに再発防止の行政指導 総務省
●沖縄本土北方の無人島 中国系企業が購入判明
●原発「60年超」改正案 異例の多数決で了承 規制委
●サッカー日本代表 第2次森保ジャパンの初陣は3/24ウルグアイ戦に決定
●プロ野球・楽天 田中将大投手が11年ぶり開幕投手 3/30ファイターズと対戦
●元ヤクルト・鈴木康二朗氏 2019年に死去 70歳
●ボクシングに転身の那須川天心選手 4/8にデビュー戦
●コンサドーレ 福岡大・岡田大和選手が「J特別指定選手」認定 開幕デビュー目指す
●ファイターズ沖縄キャンプ 正二塁手争い 石井一成選手が長打力強化で一歩リード
●スピードスケートW杯第5戦 女子1000mで高木美帆選手が2位
●中国外務省「米国の気球が去年から十数回、領空に侵入」と主張
●雪山の中から80代女性発見 落雪に巻き込まれ死亡か 深川市
●ベトナム人男性刺殺 男に懲役15年の判決
●“核のごみ”最終処分場選定 自治体向けの説明会を開催
●21年の道東赤潮被害90億7千万円 16日に最新の被害額公表
●巨額投資詐欺 無人島にリゾート「ネバーランド計画」
●道内感染者324人 全国9380人
●通信障害のNTTドコモに再発防止の行政指導 総務省
●沖縄本土北方の無人島 中国系企業が購入判明
●原発「60年超」改正案 異例の多数決で了承 規制委
●サッカー日本代表 第2次森保ジャパンの初陣は3/24ウルグアイ戦に決定
●プロ野球・楽天 田中将大投手が11年ぶり開幕投手 3/30ファイターズと対戦
●元ヤクルト・鈴木康二朗氏 2019年に死去 70歳
●ボクシングに転身の那須川天心選手 4/8にデビュー戦
●コンサドーレ 福岡大・岡田大和選手が「J特別指定選手」認定 開幕デビュー目指す
●ファイターズ沖縄キャンプ 正二塁手争い 石井一成選手が長打力強化で一歩リード
●スピードスケートW杯第5戦 女子1000mで高木美帆選手が2位
今朝の選曲
【5時台】
M「各駅停車/猫」
【6時台】
M「Bet On Me / JUJU 」
【7時台】
M「ウォーク/フー・ファイターズ」
M「各駅停車/猫」
【6時台】
M「Bet On Me / JUJU 」
【7時台】
M「ウォーク/フー・ファイターズ」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 無双の努力家・武双山 」
プロのアスリートの中でも、厳しいトレーニングに耐えてアスリート人生を全うした
現在は18代藤島を襲名、現役時代のしこ名武双山正士さん。
14日が51歳のお誕生日。
武双山正士さん本名尾曽武人さんは、1972年2月14日、
茨城県水戸市出身武蔵川部屋所属の元大相撲力士。
現役時代のサイズは身長184 cm、体重177kg。
突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ、寄りを得意とする力士でした。
お父様の尾曽正人さんは茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所で、
アマチュア選手として国体に11回出場した経験を持っていました。
ただ、息子である武双山さんは当初相撲ではなく魚釣りやソフトボールを好んでいたそうです。
小学4年生の時にお父さまに「相撲を教えてほしい」と頼んだ際、
生半可な気持ちだと困るという思いから熱意の程を確かめたいと
「腕立て伏せ30回毎日やり通したら教えてやる」と条件を出します。
ただ、武双山さんは何と1か月やり通し無事指導を受けることを許されます。
こうしてお父様が指導する「水戸尾曽相撲道場」でけいこをする生活が始まります。
稽古を始めてからほどなく、県内のわんぱく相撲大会に出場し、
しかし武双山さんはきわどい判定の末に1回戦で敗退してしまいます。
不満を漏らした武双山さんに対し、お父さまは「勝ったようにも見える。
でも、誰が見ても勝っているというような相撲をとらなきゃダメなんだ」と一喝、
そこから稽古が本格化したそうです。
相撲と言えば柔軟性ですが、小学校4年生の頃の武双山さんは
他の子供と比べ体は小さく、柔軟性にも欠けていて人一倍の稽古が求められた少年でした。
その内容は柔軟体操から始まり、腕立て伏せ、四股踏み、
バスケットボールの中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱え200回の屈伸運動、すり足で200m、
そして四股を踏んだ体制でのうさぎ跳び。夕方4時半からは実際に廻しをつけ、土俵に上がっての稽古。
仕上げはタイヤを積み重ねた重さ100kgの「ぶちかましマシーン」という
タイヤの塔を6m動かす稽古を30往復。
更に朝稽古が終わった後の6時半には牛乳2本、野菜ジュース、チーズ4個、目玉焼き2個、
ステーキ2枚、焼き魚たっぷり、生野菜とおひたしをボウルで山盛り、
ご飯2膳という大人2人分の食事をお父様が用意し、
食べきらなければ学校に行くことは許されなかったそうです。
そして、昼食はこれもお父さまが用意した二段重ねの特大弁当を持たされ、
カルシウム補充の目的でポケットには煮干しもねじこまれたそうです。
この相撲漬けの生活はさながら相撲版「巨人の星」と呼ばれたそうです。
お父さまの厳しい指導に武双山さんは決して投げ出しませんでした。
なぜこんなに厳しい指導に音を上げなかったのか・・
実は、お父様は相撲以外ではむしろ武双山さんに甘く、
お父さまは武双山さんとの会話や団欒を絶対に惜しまなかったということで、
厳しさは「愛情の裏返し」ということを、身をもって感じていたのだと言われています。
その後、水戸農業高校に進んだ武双山さん。
3年の時には全国高等学校相撲選手権大会で優勝し、高校横綱を獲得。
専修大学進学後は故障に泣いた時期もありましたが
3年生時に全日本相撲選手権大会で優勝し、アマチュア横綱を獲得。
この時点でお父さまと約束していた「角界入りは学生横綱かアマチュア横綱になってから」の条件を達成、
1993年1月には大学を3年で中退して角界入りします。
アマチュア横綱の実績から、武双山さんは1993年1月場所、幕下付出で初土俵。
2場所連続7戦全勝ですぐに十両に昇進、この時しこ名を武双山とします。
その十両も2場所で通過、1993年9月場所には新入幕を果たします。
実はこのときまだ相撲教習所の生徒という立場でしたが、
あまりの昇進の速さに相撲教習所の卒業式に出た最初の幕内力士となりました。
1994年1月場所には前頭3枚目に昇進、初の上位挑戦もいきなり横綱曙を下して金星を獲得し、
殊勲賞を受賞。翌3月場所には小結を通り越して関脇に昇進、
初土俵から8場所での関脇は当時の最速記録というスピードでした。
このスピード出世についたあだ名は「平成の怪物」、
当時時代を築きつつあった曙や貴乃花の好敵手として期待されました。
1994年9月場所では初日から11連勝して最後まで大関貴ノ花と優勝を争い、
一歩及ばなかったものの13勝2敗。
翌11月場所は早くも大関取りの期待が膨らみましたが、
場所前左肩の亜脱臼のケガによる稽古不足が影響し、7勝8敗と初の負け越し。
小結で迎えた1995年1月では初日に新横綱貴乃花を下しますが、
6日目の貴闘力戦で左肩を脱臼し途中休場。
その後も左肩脱臼の再発や、足の親指の負傷など怪我が重なった事も有り、
6年間大関候補と言われながらも伸び悩みます。
それでも、1995年5月場所では1横綱2大関に勝ち11勝で殊勲賞と敢闘賞、
7月場所では1横綱1大関に勝ち10勝で技能賞。
さらに1996年3月場所には関脇の地位で2大関に勝ち12勝3敗の好成績を残すなど着実に実績を残します。
しかし大関取りのチャンスもことごとくうまくいかず、ここから4年の時間を費やします。
2000年、1月場所で優勝。3月場所でも、12勝3敗の好成績を残し、
三役で3場所通算35勝(10-13-12勝)を挙げ、ようやく遅咲きの大関昇進を果たしました。
ところが、新大関の5月場所は腰椎椎間板障害で初日から全休。
いきなり大関角番で臨んだ7月場所でも腰痛が完治しないまま強行出場も、結局4勝11敗で、
大関で2場所連続の負け越しを喫し、大関在位僅か2場所で関脇陥落の屈辱を味わいました。
それでも関脇に陥落した直後の9月場所で、千秋楽に勝利し10勝5敗。
関脇陥落1場所で大関特例復帰を経験。
その後はケガに泣かされ大関角番と角番脱出の繰り返し、という土俵が続きました。
そして、ついに2006年11月16日、大関の地位で現役引退を決意。
その素質からは横綱を期待する声も多かった努力の力士でしたが、
ケガに泣かされた相撲人生でもありました。
圧倒的なけいこ量で勝ち取った関取の地位ですが、ケガに泣かされた相撲人生でもありました。
後進の指導に関しては、痛みの分かる親方として弟子への愛情を注いでくれることではないでしょうか。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 無双の努力家・武双山 」
プロのアスリートの中でも、厳しいトレーニングに耐えてアスリート人生を全うした
現在は18代藤島を襲名、現役時代のしこ名武双山正士さん。
14日が51歳のお誕生日。
武双山正士さん本名尾曽武人さんは、1972年2月14日、
茨城県水戸市出身武蔵川部屋所属の元大相撲力士。
現役時代のサイズは身長184 cm、体重177kg。
突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ、寄りを得意とする力士でした。
お父様の尾曽正人さんは茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所で、
アマチュア選手として国体に11回出場した経験を持っていました。
ただ、息子である武双山さんは当初相撲ではなく魚釣りやソフトボールを好んでいたそうです。
小学4年生の時にお父さまに「相撲を教えてほしい」と頼んだ際、
生半可な気持ちだと困るという思いから熱意の程を確かめたいと
「腕立て伏せ30回毎日やり通したら教えてやる」と条件を出します。
ただ、武双山さんは何と1か月やり通し無事指導を受けることを許されます。
こうしてお父様が指導する「水戸尾曽相撲道場」でけいこをする生活が始まります。
稽古を始めてからほどなく、県内のわんぱく相撲大会に出場し、
しかし武双山さんはきわどい判定の末に1回戦で敗退してしまいます。
不満を漏らした武双山さんに対し、お父さまは「勝ったようにも見える。
でも、誰が見ても勝っているというような相撲をとらなきゃダメなんだ」と一喝、
そこから稽古が本格化したそうです。
相撲と言えば柔軟性ですが、小学校4年生の頃の武双山さんは
他の子供と比べ体は小さく、柔軟性にも欠けていて人一倍の稽古が求められた少年でした。
その内容は柔軟体操から始まり、腕立て伏せ、四股踏み、
バスケットボールの中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱え200回の屈伸運動、すり足で200m、
そして四股を踏んだ体制でのうさぎ跳び。夕方4時半からは実際に廻しをつけ、土俵に上がっての稽古。
仕上げはタイヤを積み重ねた重さ100kgの「ぶちかましマシーン」という
タイヤの塔を6m動かす稽古を30往復。
更に朝稽古が終わった後の6時半には牛乳2本、野菜ジュース、チーズ4個、目玉焼き2個、
ステーキ2枚、焼き魚たっぷり、生野菜とおひたしをボウルで山盛り、
ご飯2膳という大人2人分の食事をお父様が用意し、
食べきらなければ学校に行くことは許されなかったそうです。
そして、昼食はこれもお父さまが用意した二段重ねの特大弁当を持たされ、
カルシウム補充の目的でポケットには煮干しもねじこまれたそうです。
この相撲漬けの生活はさながら相撲版「巨人の星」と呼ばれたそうです。
お父さまの厳しい指導に武双山さんは決して投げ出しませんでした。
なぜこんなに厳しい指導に音を上げなかったのか・・
実は、お父様は相撲以外ではむしろ武双山さんに甘く、
お父さまは武双山さんとの会話や団欒を絶対に惜しまなかったということで、
厳しさは「愛情の裏返し」ということを、身をもって感じていたのだと言われています。
その後、水戸農業高校に進んだ武双山さん。
3年の時には全国高等学校相撲選手権大会で優勝し、高校横綱を獲得。
専修大学進学後は故障に泣いた時期もありましたが
3年生時に全日本相撲選手権大会で優勝し、アマチュア横綱を獲得。
この時点でお父さまと約束していた「角界入りは学生横綱かアマチュア横綱になってから」の条件を達成、
1993年1月には大学を3年で中退して角界入りします。
アマチュア横綱の実績から、武双山さんは1993年1月場所、幕下付出で初土俵。
2場所連続7戦全勝ですぐに十両に昇進、この時しこ名を武双山とします。
その十両も2場所で通過、1993年9月場所には新入幕を果たします。
実はこのときまだ相撲教習所の生徒という立場でしたが、
あまりの昇進の速さに相撲教習所の卒業式に出た最初の幕内力士となりました。
1994年1月場所には前頭3枚目に昇進、初の上位挑戦もいきなり横綱曙を下して金星を獲得し、
殊勲賞を受賞。翌3月場所には小結を通り越して関脇に昇進、
初土俵から8場所での関脇は当時の最速記録というスピードでした。
このスピード出世についたあだ名は「平成の怪物」、
当時時代を築きつつあった曙や貴乃花の好敵手として期待されました。
1994年9月場所では初日から11連勝して最後まで大関貴ノ花と優勝を争い、
一歩及ばなかったものの13勝2敗。
翌11月場所は早くも大関取りの期待が膨らみましたが、
場所前左肩の亜脱臼のケガによる稽古不足が影響し、7勝8敗と初の負け越し。
小結で迎えた1995年1月では初日に新横綱貴乃花を下しますが、
6日目の貴闘力戦で左肩を脱臼し途中休場。
その後も左肩脱臼の再発や、足の親指の負傷など怪我が重なった事も有り、
6年間大関候補と言われながらも伸び悩みます。
それでも、1995年5月場所では1横綱2大関に勝ち11勝で殊勲賞と敢闘賞、
7月場所では1横綱1大関に勝ち10勝で技能賞。
さらに1996年3月場所には関脇の地位で2大関に勝ち12勝3敗の好成績を残すなど着実に実績を残します。
しかし大関取りのチャンスもことごとくうまくいかず、ここから4年の時間を費やします。
2000年、1月場所で優勝。3月場所でも、12勝3敗の好成績を残し、
三役で3場所通算35勝(10-13-12勝)を挙げ、ようやく遅咲きの大関昇進を果たしました。
ところが、新大関の5月場所は腰椎椎間板障害で初日から全休。
いきなり大関角番で臨んだ7月場所でも腰痛が完治しないまま強行出場も、結局4勝11敗で、
大関で2場所連続の負け越しを喫し、大関在位僅か2場所で関脇陥落の屈辱を味わいました。
それでも関脇に陥落した直後の9月場所で、千秋楽に勝利し10勝5敗。
関脇陥落1場所で大関特例復帰を経験。
その後はケガに泣かされ大関角番と角番脱出の繰り返し、という土俵が続きました。
そして、ついに2006年11月16日、大関の地位で現役引退を決意。
その素質からは横綱を期待する声も多かった努力の力士でしたが、
ケガに泣かされた相撲人生でもありました。
圧倒的なけいこ量で勝ち取った関取の地位ですが、ケガに泣かされた相撲人生でもありました。
後進の指導に関しては、痛みの分かる親方として弟子への愛情を注いでくれることではないでしょうか。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!