今朝の放送内容 3月27日(水)
2024年3月27日(水)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●札幌市東区・路上強盗事件 20歳の男を送検 奪った財布から数千円抜き取りか
●小林製薬「紅麹原料」健康被害 死者2人に 3商品の「廃棄命令」など講じるよう大阪市に通知
●地価公示 半導体メーカー進出で千歳市上昇 住宅地上昇率1位は富良野市
●「核のごみ」処分研究施設が公開 地下350メートル 幌延町
●岸田総理自ら安倍派幹部に事情聴取 内容を踏まえ処分の方針
●札幌市路面電車の「ネーミングライツ」 停留場書き換え作業始まる
●犯罪被害者給付金“同性パートナーも支給対象になり得る” 最高裁が裁判やり直し命じる
●貨物船が衝突し橋崩落 作業員8人が落下 アメリカ・メリーランド州
●次期戦闘機の輸出解禁 安保政策を大幅転換 閣議決定
●レバンガ きょうホームでA東京戦
●コンサドーレ J3・YS横浜からGK児玉潤選手が完全移籍で加入
●ファイターズ 福島蓮投手が先発転向 4月1軍デビューの可能性も
●きのうのセンバツ高校野球結果
●カブス鈴木誠也選手が1試合2本塁打 オープン戦
●パドレス・ダルビッシュ投手が本拠地開幕戦に先発 ジャイアンツ戦
●ドジャース大谷翔平選手が右肘手術後初めて公の場でキャッチボール
●小林製薬「紅麹原料」健康被害 死者2人に 3商品の「廃棄命令」など講じるよう大阪市に通知
●地価公示 半導体メーカー進出で千歳市上昇 住宅地上昇率1位は富良野市
●「核のごみ」処分研究施設が公開 地下350メートル 幌延町
●岸田総理自ら安倍派幹部に事情聴取 内容を踏まえ処分の方針
●札幌市路面電車の「ネーミングライツ」 停留場書き換え作業始まる
●犯罪被害者給付金“同性パートナーも支給対象になり得る” 最高裁が裁判やり直し命じる
●貨物船が衝突し橋崩落 作業員8人が落下 アメリカ・メリーランド州
●次期戦闘機の輸出解禁 安保政策を大幅転換 閣議決定
●レバンガ きょうホームでA東京戦
●コンサドーレ J3・YS横浜からGK児玉潤選手が完全移籍で加入
●ファイターズ 福島蓮投手が先発転向 4月1軍デビューの可能性も
●きのうのセンバツ高校野球結果
●カブス鈴木誠也選手が1試合2本塁打 オープン戦
●パドレス・ダルビッシュ投手が本拠地開幕戦に先発 ジャイアンツ戦
●ドジャース大谷翔平選手が右肘手術後初めて公の場でキャッチボール
今朝の選曲
【6時台】
M「Boys & Girls /サディスィック・ミカ・バンド」
M「Dear Friends / PERSONS 」
M「Boys & Girls /サディスィック・ミカ・バンド」
M「Dear Friends / PERSONS 」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 プロ野球90年史 」
プロ野球は今年90周年を迎えます。
野球というスポーツは、1871年現在の東京大学で教鞭をとった
ホーレス・ウィルソンによって生徒に伝えられ、その後全国的に広まっていきます。
国内で当初人気を博したのは、
1903年スタートの早稲田・慶応の両校間の対抗戦に端を発した、東京六大学リーグ。
続けて1915年スタートの全国中等学校優勝大会(現在の夏の全国高校選手権大会)、
更に1924年スタートの全国選抜中等学校大会(現在の春の選抜高校大会)
とどんどん人気が高まっていきます。
それぞれ主催した新聞社も部数を飛躍的に伸ばしている中、
どうしても売り上げを伸ばしたい当時の読売新聞社長、正力松太郎さんが考えたのが…
当時誰も実現する事ができなかったアメリカメジャーリーグ選抜チームを作って
来日させる事でした。
実は1931年にそれが実現し、第1回日米野球が開催されました。
鉄人ルー・ゲーリッグや剛腕レフティ・グローブら大物選手擁するMLB選抜を相手に、
日本は人気の学生野球メンバーを中心に初めてオールスターチームを結成して挑みますが、
17戦全敗に終わります。
すると、翌年「野球ノ統制並施行ニ関スル件」なるものが、文部省から発令されます。
これは大正期から昭和期にかけての野球人気の高まりの一方で、
学生野球に統一的なルールがなかったため、学生野球の商業化、興行化、
選手のマネキン化などの問題が指摘され、できたもので、
これによりメジャーリーグ選抜を招聘したとしても
大学チームを対戦相手とすることはできなくなります。
そこで結成されたのが、かつて学生野球で
人気選手だったメンバー中心に集められた全日本代表チーム。
このチームとベーブ・ルース率いる全米軍が戦った第2回日米野球が1934年行われ、
この時の代表チームが母体となったのが現在の読売ジャイアンツということで、
この年がプロ野球誕生の年とされています。
その後、東京・名古屋・大阪に合わせて7球団が誕生し、
本格的にリーグ戦がスタートします。
戦争中には敵国のスポーツである野球に軍部から厳しい目が向けられますが、
アメリカ兵に見立てたコンクリートに自慢の肩で手りゅう弾を命中させ見事に破壊する姿を見せ、
更に英語使用を禁止するなどの工夫などで存続。
ただ、戦況の悪化で一時休止を余儀なくされますが、
1946年にプロ野球も復活するという1リーグでのプロ野球の歴史が紡がれていきます。
そのプロ野球、初めての大きな転換点といっていいのは1950年にセ、パの2リーグ分裂でしょう。
野球は戦前「学生の趣味である」との考えが一般的だったそうです。
その野球をやってお金を稼ぐプロ野球選手とは「子供の趣味を大人になっても続け、
生計の手段としてしまう人々」として、一般の社会人と比べて侮蔑される存在でもありました。
ところが、1947年のニックネーム導入(ジャイアンツ・ファイターズなど)、
1948年のフランチャイズ制仮執行などメジャーに倣った活動も導入されます。
さらにスポーツ新聞が相次いで創刊され、戦前はほとんどなかったラジオ中継も増えるなど、
大きな影響をもたらし、多くの球団に黒字化の見通しがたち、稼げる事業となってきます。
このとき、連盟に実質的な影響力をもつ正力松太郎が
「10球団へ増やし、それでも安定すれば12球団とし、
2リーグへ」という「正力構想」が表明されます。
そこへ参入を目論んだのがすでにセンバツ高校野球の主催で部数をのばしていた毎日新聞。
特に毎日新聞は「大阪毎日新聞」が母体で、
ここでできた東京VS大阪という構図も対立のきっかけとなります。
さらに、大きかったのは1949年7月、当時の国鉄総裁・下山定則さんが失踪、
その後常磐線の線路内で轢死体となって発見された「下山事件」。
日本を代表する三大新聞のうち、読売新聞と朝日新聞は他殺と報じたのに対し、
毎日新聞は自殺と報じ、これが、毎日新聞と読売新聞の対立を深めたと言われています。
結局1950年セントラルリーグは読売・阪神・中日・松竹・西日本・国鉄・大洋・広島の8球団。
パシフィックリーグは毎日・南海・大映・阪急・西鉄・東急(ファイターズの前身)
近鉄の7球団でスタートします。
ただ、ここからは読売とそれ以外という構図で長い間プロ野球は進んでいきます。
1950年代半ばの高度経済成長期には熱狂的なファンを獲得した読売ジャイアンツ。
1958年に東京六大学のスーパースター長嶋茂雄さんが巨人に入団してからは王貞治さんとともに、
黄金期を迎え特に1965年から1973年にかけての9連覇は今もプロ野球史に残る偉業で
「巨人・大鵬・卵焼き」という時代を象徴する言葉も生まれたほどです。
一方テレビ中継もないパ・リーグは衰退の一途をたどっていきますが、
「このままではいけない」という危機感から様々な改革が
セ・リーグに先駆けて行われていきます。
まずは1973年~1982年にかけて行われた2シーズン制によるプレーオフの導入。
これは当時130試合だったペナントレースを65試合ずつ前後半に分けて、
それぞれの優勝チームが全試合終了後に5試合3戦先勝方式で優勝を決めるという制度。
さらにメジャー、ア・リーグで1973年から採用されたDH制度は
日本ではパ・リーグが先駆けて1975年に採用し、どんどん改革を行っていきます。
ただ、どれだけ改革を行っても、なかなかテレビ中継のあった巨人戦がある
セ・リーグとの人気の差は埋まらず1990年代へと入っていきます。
しかし、ここでパ・リーグにスター選手が生まれます。
当時史上最多8球団からの指名を受け近鉄入りした野茂英雄さん。
1988年のソウルオリンピック銀メダリストという国際大会での実績を引っ提げてプロ入りした
奪三振王はやがて海を渡り1995年ロサンゼルスドジャース入りし、新人王を獲得します。
入れ替わるかのように現れたオリックスのイチローさんは
その俊足と見事なバットコントロールを生かし次々に安打記録を塗り替えメジャーへ挑戦。
ついにメジャー年間最多安打記録なども塗り替えるなど、
パ・リーグには国内だけにとどまらない実力を兼ね備えた選手が登場します。
そして最も近年で変革が起きたといっていいのが2004年の球界再編問題でしょう。
近鉄・オリックスの合併騒動に端を発し、12球団存続を訴える選手会側とNPB側が対立。
9月、ついに史上初のストライキを慣行。これをきっかけに2005年に東北楽天が仙台に誕生し、
すでに1989年に福岡にいて移転していた現ソフトバンクホークス、
2004年に北海道に移転していた北海道日本ハムファイターズと合わせ、
パ・リーグは全国へと広がって地元ファン獲得という新たな価値を見出します。
更にすでに2004年からパ・リーグ先行で採用していたプレーオフは
クライマックスシリーズと名を変え2007年よりセ・リーグでも採用され、
2005年からはセ・パ交流戦も始まりついに旧来の構図を破ります。
そして、2006年にはWBCというプロ選手参加の世界大会で優勝するなど国際的な価値も上がり、
去年はついにそのWBCで90年前全敗したアメリカ代表しかも、
バリバリのメジャーリーガー擁するチームをを破り3度目の世界一となりました。
細かなものを入れるともっと多くの要素はありますが、
今後NPBが目指すところは「メジャーが憧れるリーグになる」ことではないでしょうか。
そのためにメジャーでワールドシリーズ優勝のチームと、
日本一になったチーム同士、さらには各国リーグのチャンピオンが集った
「クラブワールドカップ」の開催がさらなる発展には必要となるかもしれません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 プロ野球90年史 」
プロ野球は今年90周年を迎えます。
野球というスポーツは、1871年現在の東京大学で教鞭をとった
ホーレス・ウィルソンによって生徒に伝えられ、その後全国的に広まっていきます。
国内で当初人気を博したのは、
1903年スタートの早稲田・慶応の両校間の対抗戦に端を発した、東京六大学リーグ。
続けて1915年スタートの全国中等学校優勝大会(現在の夏の全国高校選手権大会)、
更に1924年スタートの全国選抜中等学校大会(現在の春の選抜高校大会)
とどんどん人気が高まっていきます。
それぞれ主催した新聞社も部数を飛躍的に伸ばしている中、
どうしても売り上げを伸ばしたい当時の読売新聞社長、正力松太郎さんが考えたのが…
当時誰も実現する事ができなかったアメリカメジャーリーグ選抜チームを作って
来日させる事でした。
実は1931年にそれが実現し、第1回日米野球が開催されました。
鉄人ルー・ゲーリッグや剛腕レフティ・グローブら大物選手擁するMLB選抜を相手に、
日本は人気の学生野球メンバーを中心に初めてオールスターチームを結成して挑みますが、
17戦全敗に終わります。
すると、翌年「野球ノ統制並施行ニ関スル件」なるものが、文部省から発令されます。
これは大正期から昭和期にかけての野球人気の高まりの一方で、
学生野球に統一的なルールがなかったため、学生野球の商業化、興行化、
選手のマネキン化などの問題が指摘され、できたもので、
これによりメジャーリーグ選抜を招聘したとしても
大学チームを対戦相手とすることはできなくなります。
そこで結成されたのが、かつて学生野球で
人気選手だったメンバー中心に集められた全日本代表チーム。
このチームとベーブ・ルース率いる全米軍が戦った第2回日米野球が1934年行われ、
この時の代表チームが母体となったのが現在の読売ジャイアンツということで、
この年がプロ野球誕生の年とされています。
その後、東京・名古屋・大阪に合わせて7球団が誕生し、
本格的にリーグ戦がスタートします。
戦争中には敵国のスポーツである野球に軍部から厳しい目が向けられますが、
アメリカ兵に見立てたコンクリートに自慢の肩で手りゅう弾を命中させ見事に破壊する姿を見せ、
更に英語使用を禁止するなどの工夫などで存続。
ただ、戦況の悪化で一時休止を余儀なくされますが、
1946年にプロ野球も復活するという1リーグでのプロ野球の歴史が紡がれていきます。
そのプロ野球、初めての大きな転換点といっていいのは1950年にセ、パの2リーグ分裂でしょう。
野球は戦前「学生の趣味である」との考えが一般的だったそうです。
その野球をやってお金を稼ぐプロ野球選手とは「子供の趣味を大人になっても続け、
生計の手段としてしまう人々」として、一般の社会人と比べて侮蔑される存在でもありました。
ところが、1947年のニックネーム導入(ジャイアンツ・ファイターズなど)、
1948年のフランチャイズ制仮執行などメジャーに倣った活動も導入されます。
さらにスポーツ新聞が相次いで創刊され、戦前はほとんどなかったラジオ中継も増えるなど、
大きな影響をもたらし、多くの球団に黒字化の見通しがたち、稼げる事業となってきます。
このとき、連盟に実質的な影響力をもつ正力松太郎が
「10球団へ増やし、それでも安定すれば12球団とし、
2リーグへ」という「正力構想」が表明されます。
そこへ参入を目論んだのがすでにセンバツ高校野球の主催で部数をのばしていた毎日新聞。
特に毎日新聞は「大阪毎日新聞」が母体で、
ここでできた東京VS大阪という構図も対立のきっかけとなります。
さらに、大きかったのは1949年7月、当時の国鉄総裁・下山定則さんが失踪、
その後常磐線の線路内で轢死体となって発見された「下山事件」。
日本を代表する三大新聞のうち、読売新聞と朝日新聞は他殺と報じたのに対し、
毎日新聞は自殺と報じ、これが、毎日新聞と読売新聞の対立を深めたと言われています。
結局1950年セントラルリーグは読売・阪神・中日・松竹・西日本・国鉄・大洋・広島の8球団。
パシフィックリーグは毎日・南海・大映・阪急・西鉄・東急(ファイターズの前身)
近鉄の7球団でスタートします。
ただ、ここからは読売とそれ以外という構図で長い間プロ野球は進んでいきます。
1950年代半ばの高度経済成長期には熱狂的なファンを獲得した読売ジャイアンツ。
1958年に東京六大学のスーパースター長嶋茂雄さんが巨人に入団してからは王貞治さんとともに、
黄金期を迎え特に1965年から1973年にかけての9連覇は今もプロ野球史に残る偉業で
「巨人・大鵬・卵焼き」という時代を象徴する言葉も生まれたほどです。
一方テレビ中継もないパ・リーグは衰退の一途をたどっていきますが、
「このままではいけない」という危機感から様々な改革が
セ・リーグに先駆けて行われていきます。
まずは1973年~1982年にかけて行われた2シーズン制によるプレーオフの導入。
これは当時130試合だったペナントレースを65試合ずつ前後半に分けて、
それぞれの優勝チームが全試合終了後に5試合3戦先勝方式で優勝を決めるという制度。
さらにメジャー、ア・リーグで1973年から採用されたDH制度は
日本ではパ・リーグが先駆けて1975年に採用し、どんどん改革を行っていきます。
ただ、どれだけ改革を行っても、なかなかテレビ中継のあった巨人戦がある
セ・リーグとの人気の差は埋まらず1990年代へと入っていきます。
しかし、ここでパ・リーグにスター選手が生まれます。
当時史上最多8球団からの指名を受け近鉄入りした野茂英雄さん。
1988年のソウルオリンピック銀メダリストという国際大会での実績を引っ提げてプロ入りした
奪三振王はやがて海を渡り1995年ロサンゼルスドジャース入りし、新人王を獲得します。
入れ替わるかのように現れたオリックスのイチローさんは
その俊足と見事なバットコントロールを生かし次々に安打記録を塗り替えメジャーへ挑戦。
ついにメジャー年間最多安打記録なども塗り替えるなど、
パ・リーグには国内だけにとどまらない実力を兼ね備えた選手が登場します。
そして最も近年で変革が起きたといっていいのが2004年の球界再編問題でしょう。
近鉄・オリックスの合併騒動に端を発し、12球団存続を訴える選手会側とNPB側が対立。
9月、ついに史上初のストライキを慣行。これをきっかけに2005年に東北楽天が仙台に誕生し、
すでに1989年に福岡にいて移転していた現ソフトバンクホークス、
2004年に北海道に移転していた北海道日本ハムファイターズと合わせ、
パ・リーグは全国へと広がって地元ファン獲得という新たな価値を見出します。
更にすでに2004年からパ・リーグ先行で採用していたプレーオフは
クライマックスシリーズと名を変え2007年よりセ・リーグでも採用され、
2005年からはセ・パ交流戦も始まりついに旧来の構図を破ります。
そして、2006年にはWBCというプロ選手参加の世界大会で優勝するなど国際的な価値も上がり、
去年はついにそのWBCで90年前全敗したアメリカ代表しかも、
バリバリのメジャーリーガー擁するチームをを破り3度目の世界一となりました。
細かなものを入れるともっと多くの要素はありますが、
今後NPBが目指すところは「メジャーが憧れるリーグになる」ことではないでしょうか。
そのためにメジャーでワールドシリーズ優勝のチームと、
日本一になったチーム同士、さらには各国リーグのチャンピオンが集った
「クラブワールドカップ」の開催がさらなる発展には必要となるかもしれません。
4月からの番組新ノベルティは「あさミミ!折りたたみ粗品コップ」
新年度からの番組新ノベルティですが、完成しました!
その名も・・・「あさミミ!折りたたみ粗品コップ」です!
粗品シリーズ第4弾。
あさミミとSTVラジオのロゴが入ったジャバラ状の折りたたみ出来るコップで、
日常使いに、アウトドアに、防災グッズになります。(防災かばんに入れておくと便利です!)
日常使いに、アウトドアに、防災グッズになります。(防災かばんに入れておくと便利です!)
4月から毎週3人の方にプレゼントです。
あなたの街のお天気情報・交通情報と共にメッセージお待ちしています!
この春からも、北海道の朝は「北海道ライブあさミミ!」
ぜひお付き合いください!!