今朝の放送内容 9月12日(火)
2023年9月12日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●札幌市のマンションで火事 旭川市の住宅でも火事、男性1人の遺体
●旭川市の高齢者施設 入居者が入居者殴り傷害容疑で逮捕
●女性記者に無理やりキス 石狩市議会議員を強制わいせつ容疑で書類送検
●25歳男性死亡 ひき逃げか 防犯カメラに走り去る大型車 白石区
●内閣改造・党役員人事、調整を本格化 小渕優子氏の要職起用案が浮上
●処理水2回目放出、早ければ来月上旬の見通し 1回目はきのう昼過ぎに終える
●北朝鮮・金総書記が訪露、プーチン大統領と会談へ
●電動キックスケーターで衝突か、60代女性が重傷 23歳女を逮捕 東京・池袋
●大手菓子メーカー 十勝の畑でジャガイモ収穫式
●体験型観光の国際会議 北海道で開幕
●モロッコ大地震「発生から72時間」迫る
●エンゼルス大谷翔平選手 右脇腹張りで7戦連続欠場もきょう以降に復帰か
●きのうの大相撲秋場所結果 北青鵬が初白星で1勝1敗
●テニス全米オープン
男子シングルス・ジョコビッチ選手がグランドスラム24勝目達成
車いす女子シングルス・上地結衣選手が準優勝 7年連続
●サッカー日本代表 キリンチャレンジカップきょうドイツ戦
●ラグビーW杯 次戦イングランド戦で姫野和樹選手復帰へ
●IHアジアリーグ レッドイーグルス16日ホームで開幕戦
●ファイターズ きょうからオリックス2連戦
●旭川市の高齢者施設 入居者が入居者殴り傷害容疑で逮捕
●女性記者に無理やりキス 石狩市議会議員を強制わいせつ容疑で書類送検
●25歳男性死亡 ひき逃げか 防犯カメラに走り去る大型車 白石区
●内閣改造・党役員人事、調整を本格化 小渕優子氏の要職起用案が浮上
●処理水2回目放出、早ければ来月上旬の見通し 1回目はきのう昼過ぎに終える
●北朝鮮・金総書記が訪露、プーチン大統領と会談へ
●電動キックスケーターで衝突か、60代女性が重傷 23歳女を逮捕 東京・池袋
●大手菓子メーカー 十勝の畑でジャガイモ収穫式
●体験型観光の国際会議 北海道で開幕
●モロッコ大地震「発生から72時間」迫る
●エンゼルス大谷翔平選手 右脇腹張りで7戦連続欠場もきょう以降に復帰か
●きのうの大相撲秋場所結果 北青鵬が初白星で1勝1敗
●テニス全米オープン
男子シングルス・ジョコビッチ選手がグランドスラム24勝目達成
車いす女子シングルス・上地結衣選手が準優勝 7年連続
●サッカー日本代表 キリンチャレンジカップきょうドイツ戦
●ラグビーW杯 次戦イングランド戦で姫野和樹選手復帰へ
●IHアジアリーグ レッドイーグルス16日ホームで開幕戦
●ファイターズ きょうからオリックス2連戦
今朝の選曲
【6時台】
M「君が好きだと叫びたい/ BAAD 」
【7時台】
M「ウイ・アー・ファミリー/シスター・スレッジ」
M「君が好きだと叫びたい/ BAAD 」
【7時台】
M「ウイ・アー・ファミリー/シスター・スレッジ」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 稀代のエンターティナー野球人木田優夫 」
ファイターズの2軍監督を務める木田優夫さんは9月12日が55歳のお誕生日。
木田さんと言えば似顔絵が得意で去年も2軍戦では
「試合終了後に木田画伯に似顔絵を描いてもらう権利」が抽選で贈られたりと
2軍とは言えプロ野球の監督のイメージとはかけ離れたサービスも行われました。
なぜ、ここまでサービス精神旺盛なのか・・
木田優夫さんは1968年9月12日生まれ、東京都国分寺市出身の元プロ野球選手で
現役時代は右投げ右打ちの投手でした。
高校球児だったお父様の影響で野球を始め、地元の少年野チームで野球を始めます。
実はその後、お父様の転勤に伴って小学生時代の一時期を札幌市で過ごします。
ただし、木田さん本人から出された転校の条件として
「札幌でも少年野球チームに入れること」というのがあったそうで、
札幌の北九条小学校に通い、「北大パンサーズ」というチームで野球もしていたそうです。
ちなみに小学校の頃は漫画クラブに所属し、国分寺市立第五中学では美術部にも所属。
この経験が後に役立ったというわけなんですね。
中学卒業後、山梨県の日本大学明誠高校に進学。
1986年の山梨大会ではエース兼四番打者として決勝に進みますが、準優勝。
右の本格派として注目を集め、NTT関東への就職が決まっていいたものの、
1986年度プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け、
プロ野球選手となります。
巨人入団当時は変化球習得に腐心しますが、大きなきっかけは1988年。
アメリカ1Aのマイアミ・マーリンズ(現・フォートマイヤーズ・ミラクル)への野球留学です。
木田さんの手の大きさに着目したコーチから、フォークボールの指導を受け、大きな武器を得ます。
帰国後の1989年4月にはプロ初先発で初勝利を記録し華々しいデビューを飾りました。
そして、木田さんの投球を僕が実際に見た中で強烈だったのが、確か1990年のオープン戦、
この時に東京ドームで156キロを計測したということがありました。
2014年に札幌ドームで大谷翔平選手が160キロを計測してからというもの、
彼が頻繁に160キロ以上の球速を計測するようになったので、
今では156キロといっても珍しくはありませんが、
1990年当初はプロでも150キロを超えるスピードボールは
まずほとんどお目にかかれなかった時代。
その時代の156キロですから「伝説の沢村栄治さんが投げたという160キロを超えるのは
木田さんだ!」とかなりの話題となりました。
1990年には自身唯一となる二桁勝利を記録し、セ・リーグ最多のシーズン182奪三振も記録。
オールスターにも監督推薦で出場しその後も、先発・中継ぎ・抑えと何でもこなす役割を果たしました。
そんな木田さん、ここから波乱万丈のプロ野球人生を送ります。
1998年1月、交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。
シーズン後半からは抑え投手として起用され、24試合で1勝1敗16セーブ防御率1.83を記録。
更にオフにFA権を行使し、メジャーへと移籍。
1998年11月にデトロイト・タイガースと2年300万ドルで契約。
日本人8人目のメジャーリーガーとなります。
このタイガースの入団会見では羽織袴姿で登場して、
「ロボコップに会えなくて残念(この映画の舞台がデトロイト)」とジョークを飛ばして
報道陣の笑いを誘います。
実はこの笑いのセンス、巨人在籍時代に試合のチケットをとある有名人から頼まれ手配したことで
親交が深まったことに由来します。
その有名人とはあの明石家さんまさん。
それ以降クリスマスにトナカイの恰好をしてさんまさんとテレビに出演するなど、
エンターティナーとしての才能も磨かれていきます。
1999年、テキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー。
5月のインディアンス戦では7回から登板し3回を投げメジャー初セーブを記録し、
6月のマリナーズ戦でメジャー初勝利。
2000年にはシーズン途中でタイガースとの契約を解除されますが、
再び日本に戻りオリックスと契約します。
しかし日本復帰後の2年間は本来の調子を取り戻せず2001年オフに自由契約となり、
再度メジャーへ挑戦。
2003年にロサンゼルス・ドジャースと契約し再び渡米しますが、
3月になんと乗っていた車の交通事故により全治6週間の重傷を負ってしまいます。
しかし、8月にメジャー登板を果たすと、翌2004年9月にシアトル・マリナーズへ移籍。
更に翌年の2005年、投法をサイドスローに改造しますが、
メジャーでは1試合しか登板できず自由契約となります。
ただ、2005年オフに新監督に就任した古田敦也さんの誘いを受け
今度はまたまた日本に戻り東京ヤクルトスワローズに入団。
2006年には中継ぎで56試合に登板し、リーグ4位となる23ホールドを記録。
また、監督推薦で16年ぶり2回目のオールスターゲーム出場も果たします。
ちなみに15年間のブランクを経ての出場は歴代最長記録です。
ただ、2009年10月、ついにヤクルトからも戦力外通告を受け再び他球団移籍を模索します。
そこで声をかけられたのが小学生時代を過ごした札幌が本拠地のファイターズでした。
翌2010年3月の対福岡ソフトバンクホークス戦で5回を無失点に抑えて移籍後初勝利。
5月4日には通算500試合登板を達成しました。
しかしその後2年間で計4試合の登板に留まり。
2012年退団発表。ただ、不屈の精神でその後独立リーグ石川ミリオンスターズへ入団。
投手兼ゼネラルマネージャーとしてプレーしますが、2014年8月会見を開き、現役引退を発表。
ただ、9月13日の試合には友人である明石家さんまさんが臨時コーチを務めるなど、
野球以外の幅広い功績が認められ、2015年からは、ファイターズのゼネラルマネージャー補佐に就任。
そして、その後の木田さんの功績と言えば2017年のドラフト会議で
1巡目指名で7球団が競合した清宮幸太郎選手の当たりくじを引き当てるという快挙!
この時も前日にさんまさんに相談して「お前、右腕じゃ大した功績残せへんかったから、
左で引け!」の助言通り、見事な強運を発揮。
そのご縁で2018年10月3日にはお忙しい中、
さんまさんが札幌ドームにゲストでいらしてくれましたし、
幼少の頃から得意だった似顔絵では、一昨年全選手の似顔絵を描いて、
それがプリントされたTシャツが販売されたり、
2軍イベントでも発揮されたりと本当に野球以外の多彩な面でも、
たくさんファイターズに還元してくれる存在となりました。
そんな苦労人でありエンターティナーの木田さんが
次にどんな逸材を1軍に送ってくれるのか・・これからも楽しみは尽きません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 稀代のエンターティナー野球人木田優夫 」
ファイターズの2軍監督を務める木田優夫さんは9月12日が55歳のお誕生日。
木田さんと言えば似顔絵が得意で去年も2軍戦では
「試合終了後に木田画伯に似顔絵を描いてもらう権利」が抽選で贈られたりと
2軍とは言えプロ野球の監督のイメージとはかけ離れたサービスも行われました。
なぜ、ここまでサービス精神旺盛なのか・・
木田優夫さんは1968年9月12日生まれ、東京都国分寺市出身の元プロ野球選手で
現役時代は右投げ右打ちの投手でした。
高校球児だったお父様の影響で野球を始め、地元の少年野チームで野球を始めます。
実はその後、お父様の転勤に伴って小学生時代の一時期を札幌市で過ごします。
ただし、木田さん本人から出された転校の条件として
「札幌でも少年野球チームに入れること」というのがあったそうで、
札幌の北九条小学校に通い、「北大パンサーズ」というチームで野球もしていたそうです。
ちなみに小学校の頃は漫画クラブに所属し、国分寺市立第五中学では美術部にも所属。
この経験が後に役立ったというわけなんですね。
中学卒業後、山梨県の日本大学明誠高校に進学。
1986年の山梨大会ではエース兼四番打者として決勝に進みますが、準優勝。
右の本格派として注目を集め、NTT関東への就職が決まっていいたものの、
1986年度プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け、
プロ野球選手となります。
巨人入団当時は変化球習得に腐心しますが、大きなきっかけは1988年。
アメリカ1Aのマイアミ・マーリンズ(現・フォートマイヤーズ・ミラクル)への野球留学です。
木田さんの手の大きさに着目したコーチから、フォークボールの指導を受け、大きな武器を得ます。
帰国後の1989年4月にはプロ初先発で初勝利を記録し華々しいデビューを飾りました。
そして、木田さんの投球を僕が実際に見た中で強烈だったのが、確か1990年のオープン戦、
この時に東京ドームで156キロを計測したということがありました。
2014年に札幌ドームで大谷翔平選手が160キロを計測してからというもの、
彼が頻繁に160キロ以上の球速を計測するようになったので、
今では156キロといっても珍しくはありませんが、
1990年当初はプロでも150キロを超えるスピードボールは
まずほとんどお目にかかれなかった時代。
その時代の156キロですから「伝説の沢村栄治さんが投げたという160キロを超えるのは
木田さんだ!」とかなりの話題となりました。
1990年には自身唯一となる二桁勝利を記録し、セ・リーグ最多のシーズン182奪三振も記録。
オールスターにも監督推薦で出場しその後も、先発・中継ぎ・抑えと何でもこなす役割を果たしました。
そんな木田さん、ここから波乱万丈のプロ野球人生を送ります。
1998年1月、交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。
シーズン後半からは抑え投手として起用され、24試合で1勝1敗16セーブ防御率1.83を記録。
更にオフにFA権を行使し、メジャーへと移籍。
1998年11月にデトロイト・タイガースと2年300万ドルで契約。
日本人8人目のメジャーリーガーとなります。
このタイガースの入団会見では羽織袴姿で登場して、
「ロボコップに会えなくて残念(この映画の舞台がデトロイト)」とジョークを飛ばして
報道陣の笑いを誘います。
実はこの笑いのセンス、巨人在籍時代に試合のチケットをとある有名人から頼まれ手配したことで
親交が深まったことに由来します。
その有名人とはあの明石家さんまさん。
それ以降クリスマスにトナカイの恰好をしてさんまさんとテレビに出演するなど、
エンターティナーとしての才能も磨かれていきます。
1999年、テキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー。
5月のインディアンス戦では7回から登板し3回を投げメジャー初セーブを記録し、
6月のマリナーズ戦でメジャー初勝利。
2000年にはシーズン途中でタイガースとの契約を解除されますが、
再び日本に戻りオリックスと契約します。
しかし日本復帰後の2年間は本来の調子を取り戻せず2001年オフに自由契約となり、
再度メジャーへ挑戦。
2003年にロサンゼルス・ドジャースと契約し再び渡米しますが、
3月になんと乗っていた車の交通事故により全治6週間の重傷を負ってしまいます。
しかし、8月にメジャー登板を果たすと、翌2004年9月にシアトル・マリナーズへ移籍。
更に翌年の2005年、投法をサイドスローに改造しますが、
メジャーでは1試合しか登板できず自由契約となります。
ただ、2005年オフに新監督に就任した古田敦也さんの誘いを受け
今度はまたまた日本に戻り東京ヤクルトスワローズに入団。
2006年には中継ぎで56試合に登板し、リーグ4位となる23ホールドを記録。
また、監督推薦で16年ぶり2回目のオールスターゲーム出場も果たします。
ちなみに15年間のブランクを経ての出場は歴代最長記録です。
ただ、2009年10月、ついにヤクルトからも戦力外通告を受け再び他球団移籍を模索します。
そこで声をかけられたのが小学生時代を過ごした札幌が本拠地のファイターズでした。
翌2010年3月の対福岡ソフトバンクホークス戦で5回を無失点に抑えて移籍後初勝利。
5月4日には通算500試合登板を達成しました。
しかしその後2年間で計4試合の登板に留まり。
2012年退団発表。ただ、不屈の精神でその後独立リーグ石川ミリオンスターズへ入団。
投手兼ゼネラルマネージャーとしてプレーしますが、2014年8月会見を開き、現役引退を発表。
ただ、9月13日の試合には友人である明石家さんまさんが臨時コーチを務めるなど、
野球以外の幅広い功績が認められ、2015年からは、ファイターズのゼネラルマネージャー補佐に就任。
そして、その後の木田さんの功績と言えば2017年のドラフト会議で
1巡目指名で7球団が競合した清宮幸太郎選手の当たりくじを引き当てるという快挙!
この時も前日にさんまさんに相談して「お前、右腕じゃ大した功績残せへんかったから、
左で引け!」の助言通り、見事な強運を発揮。
そのご縁で2018年10月3日にはお忙しい中、
さんまさんが札幌ドームにゲストでいらしてくれましたし、
幼少の頃から得意だった似顔絵では、一昨年全選手の似顔絵を描いて、
それがプリントされたTシャツが販売されたり、
2軍イベントでも発揮されたりと本当に野球以外の多彩な面でも、
たくさんファイターズに還元してくれる存在となりました。
そんな苦労人でありエンターティナーの木田さんが
次にどんな逸材を1軍に送ってくれるのか・・これからも楽しみは尽きません。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
あさミミ家庭菜園企画!続々収穫中!
「あさミミ!家庭菜園企画」
「サッポロさとらんど」の市民農園で
番組用の畑と、上田あやさん個人の畑の二つを借用中。
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
ぜひ皆さんからの家庭菜園レポートもお待ちしています!
あなたの畑の情報ぜひ教えてください!
メール asamimi@stv.jp はもちろん、
ツイッターで #あさミミ家庭菜園 をつけてぜひつぶやいてください!
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あさミミ農園のじゃがいも「きたあかり」!
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スイカも無事育ち、美味しくいただきました!
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夏にはパーソナリティ揃ってラディッシュ収穫しました!