今朝の放送内容 9月19日(火)
2023年9月19日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●国道で車とバイクあわせて5台が絡む事故 バイク運転の40代男性が死亡 石狩市
●火事で住宅全焼 焼け跡から性別不明の遺体 住人の男性と連絡取れず 美深町
●森町ゴーカート事故からきのうで1年 現場に献花
●日本から輸入の水産物「7割減」中国8月前年比 処理水放出が影響か
●日産自動車などに1470億円の賠償請求 ゴーン被告、逃亡先レバノンで裁判始まる
●職務質問で男が威嚇、警官が警告後に発砲も車で逃走 愛知県春日井市
●「B’z」コンサートのセット解体作業中に鉄骨が落下 男女7人重軽傷 福岡県福岡市
●ウクライナ軍 要衝バフムト近郊の村を奪還
●韓国・尹政権に抗議 “断食ストライキ”19日目で最大野党・李在明代表を搬送
●ポーラが宇宙で使えるスキンケア商品開発 10月発売
●国連本部で「SDGサミット」開幕 世界各国が2030年までの達成目指す
●ゼレンスキー大統領がNY到着 国連総会に初の対面出席へ
●ラグビーW杯日本代表 イングランドに敗戦 リーチ選手「タフな試合だった」
●きのうのメジャーリーグ
オリオールズがプレーオフ進出 シャンパンファイトに藤波晋太郎投手参加
エンゼルス大谷翔平選手 きょうからの敵地6連戦には帯同せず
●きのうのプロ野球結果 オリックスあすにも優勝
ファイターズ ソフトバンクに1-3 5年連続負け越し
●ファイターズ 木村文紀選手が会見で引退表明 谷内亮太選手も引退へ
元ファイターズ 中日・大野奨太選手、谷元圭介投手が引退会見
●きのうの大相撲秋場所結果 北青鵬5勝4敗
●ボクシング・那須川天心選手がデビューから2連勝
●火事で住宅全焼 焼け跡から性別不明の遺体 住人の男性と連絡取れず 美深町
●森町ゴーカート事故からきのうで1年 現場に献花
●日本から輸入の水産物「7割減」中国8月前年比 処理水放出が影響か
●日産自動車などに1470億円の賠償請求 ゴーン被告、逃亡先レバノンで裁判始まる
●職務質問で男が威嚇、警官が警告後に発砲も車で逃走 愛知県春日井市
●「B’z」コンサートのセット解体作業中に鉄骨が落下 男女7人重軽傷 福岡県福岡市
●ウクライナ軍 要衝バフムト近郊の村を奪還
●韓国・尹政権に抗議 “断食ストライキ”19日目で最大野党・李在明代表を搬送
●ポーラが宇宙で使えるスキンケア商品開発 10月発売
●国連本部で「SDGサミット」開幕 世界各国が2030年までの達成目指す
●ゼレンスキー大統領がNY到着 国連総会に初の対面出席へ
●ラグビーW杯日本代表 イングランドに敗戦 リーチ選手「タフな試合だった」
●きのうのメジャーリーグ
オリオールズがプレーオフ進出 シャンパンファイトに藤波晋太郎投手参加
エンゼルス大谷翔平選手 きょうからの敵地6連戦には帯同せず
●きのうのプロ野球結果 オリックスあすにも優勝
ファイターズ ソフトバンクに1-3 5年連続負け越し
●ファイターズ 木村文紀選手が会見で引退表明 谷内亮太選手も引退へ
元ファイターズ 中日・大野奨太選手、谷元圭介投手が引退会見
●きのうの大相撲秋場所結果 北青鵬5勝4敗
●ボクシング・那須川天心選手がデビューから2連勝
今朝の選曲
【5時台】
M「世界中の誰よりきっと/中山美穂&WANDS 」
【6時台】
M「Starting Over / Mr.Children 」
【7時台】
M「ガール・パワー/シャンプー」
M「世界中の誰よりきっと/中山美穂&WANDS 」
【6時台】
M「Starting Over / Mr.Children 」
【7時台】
M「ガール・パワー/シャンプー」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 人間機関車 エミール・ザトペック 」
ランナーの中でも注目されているトレーニングの生みの親とされている方が
9月19日ご存命なら101歳のお誕生日を迎えるエミール・ザトペックさんです。
エミール・ザトペックさんはチェコ、現役当時はチェコスロバキアの陸上選手。
1922年9月19日、チェコ共和国のモラヴィア・シレジア地方の
ノヴィー・イチーン地区にある町コプジヴニツェで第6子として生まれます。
16歳の時にズリーンにあった靴工場で働き始めますが、
19歳になったある日、突然ザトペックを含めた4人の青年が工場の実業団コーチから
陸上競技の試合に出るよう言い渡されます。
このときザトペックさんは陸上走者としては長身である182cmという
自身の体格を理由に断りをいれますが、メディカルチェックを受けさせられ
「異常無し」との通達を受けて仕方なく試合に出場。
ただ、本番ではやる気が出たこともあり100m走でいきなり2位に入ります。
この偶然の出来事が彼の競技人生のスタートとなりました。
その後、地元のアスレチッククラブに所属。
20世紀初頭に長距離走をほぼ支配したとされるフィンランドの陸上選手
「パーヴォ・ヌルミ」をモデルとして競技を続けていきます。
すると1943年に2000m、3000m、5000mで当時のチェコスロバキア記録を更新。
第二次世界大戦では一度チェコスロバキア軍に入隊しますが、
軍から練習を優先することを許され、1946年、24歳の時にはヨーロッパ選手権で
チェコスロバキアのナショナルチームの一員に選選抜。
5000mで14分25秒8を出し自身の持つチェコスロバキア記録を更新。
1948年26歳の時にはロンドンオリンピックに出場。
1万mで金メダル、更に30歳で出場した1952年のヘルシンキオリンピックでは
5000m・1万m・そしてなんとマラソン競技にも出場し金メダルを獲得。
しかも5000mと1万mでは五輪記録を樹立。
その1万mでは1948年のロンドン五輪に続き2大会連続の金メダル。
驚くことにザトペックさんがマラソンに挑戦したのはこの時が初でした。
レースでザトペックさんは当時の世界記録保持者だったジム・ピーターズさんの後ろを走っており、
15km地点を過ぎたあたりで「異変」に気づきます。
ザトペックさんが「ねえピーターズ、今のペース速すぎない?」と聞くと、
ピータースさん「いいやザトペック、むしろ遅すぎるぐらいだよ。」とやりとりをします。
実はピーターズさんはイギリス人特有の皮肉を言ったつもり、
つまり「普段はもっと速いんだぜ」と自慢するつもりでしたが、
ザトペックさんは真に受けてしまい、そこから急激にペースアップ。
そのまま2位を2分半も引き離し、世界記録を塗り替えてゴールしてしまったということなんです。
こうして生まれた長距離三冠の記録は、
それぞれでレベルの上がっている現代の陸上長距離界においては、
今後達成する選手はいないだろうと考えられている記録です。
そんな彼の走り方の特長は「顔をしかめ、喘ぎながら走るスタイル」から
「人間機関車」と称されます。
その懸命に走る姿に、投げ方が似ているということでかつて長嶋茂雄さんの
ライバルと呼ばれた元阪神タイガースの投手村山実さんの投げ方は
「ザトペック投法」と呼ばれるほど、世界的に有名な走り方でした。
そんな長距離3冠を達成したヘルシンキオリンピック前に彼が取り入れた走り方が
「インターバル走法」と言われる今もランナーのトレーニングに用いられている練習法です。
このインターバルトレーニングとは、不完全回復を挟みながら運動(中強度〜高強度)を繰り返す
トレーニング方法で、陸上競技中長距離において
スピードを持続する能力向上のために開発された方法です。
その後、様々なスポーツのトレーニングに応用されるようになりました。
ただ、効果は非常に高いものの、疲労度が高く体にかなりの負担がかかるので、
その準備段階として十分にコンディションや有酸素機能を高めた上で行うことが推奨されていて
専門的な知識も必要なトレーニングです。
更に筋肉や関節などの運動器に異常、例えば筋肉が慢性的に痛い、
あるいは3時間程度の持続走が習慣的(週3回程度)に実施できない、
という体調であれば、インターバルトレーニングの実施は問題が生じるか、
効果が得られない可能性が高いというかなり難しいトレーニング方法です。
そんな難しいトレーニングですが、厳密に言うと彼が生み出したものではなく、
冒頭で陸上を始めた際にザトペックがモデルとして尊敬していた
マラソン選手「パーヴォ・ヌルミ」さんの練習方法からヒントを得たと言われています。
そんな中、ヘルシンキ五輪に向けてトレーニングを行ったザトペックさんですが、
当然まだ専門的な知識はなかったのにもかかわらずなぜ故障しなかったのでしょうか?
そのトレーニング内容は400mインターバル走100本を2週間続けるというものでした。
ザトペックさんの具体的な練習法は・・
〇ロードで足を痛めないよう常に気を配る
〇インターバル走は不整地で行う
といった内容でした。
ザトペックさんの伝記によると、もともとトラック選手だったザトペックさんは、
マラソンに挑戦することに懐疑的だったそうです。
その理由は、ロードを走るマラソンは脚を痛める心配があるから。
つまり、故障を恐れ、故障しない対策を講じたことが
ザトペックさんの真の強みだったということです。
そうした懸念からヘルシンキ五輪に向けたインターバル走は森の中で行っていたそうです。
森の中なら地面がフカフカして柔らかく、脚への負担も大幅に軽減できるという訳です。
ザトペックさんは3000mの選手の頃から100mの全力疾走とジョギングを繰り返す
インターバル走を練習に取り入れていましたが、
当時インターバル走がまだ認知されていない時代だったので、
チームメイトからは「お前は短距離選手になるつもりか?」といわれたそうです、
しかしザトペックさんはすぐさま「100mを30回走れば3kmになるよね」と言い返したそうです。
最近ではクッション性能に優れたランニングシューズ、
いわゆる厚底シューズが業界を席巻していますが、これを履いていればロードで
スピード練習を行う時、接地の際の衝撃を和らげることができます。
つまり、森の中に行かずともインターバルトレーニングが可能になった時代ともいえるでしょう。
ちなみに、奥様のダナ・ザトペコワさんも陸上競技選手で、
1952年のヘルシンキオリンピックやり投競技で金メダル、
1960年ローマオリンピックのやり投競技で銀メダルを獲得。
ご夫婦揃って金メダリストという方です。
その奥様の証言などから現役ランナーの方にも役立ちそうな
ザトペックさんの言葉をご紹介します。
・コンディションが悪い時に練習を行っておけば、競技会の時には非常に楽である
・睡眠時間はたいてい7時間
・タバコは一度も吸ったことはなかった
・当初は夕食時にビールを飲んでいたが、ミネラルウォーターに切り替えた
・果物が大好きだ。新鮮なものでも良いし、ビン詰めでも良い
・(ダナさんの証言)「主人に何を料理したらいちばん喜ばれるかがわかったのです。
大豆、いんげん、じゃがいも、にんじん、それと大量のにんにくとたまねぎ」
コンディション維持や効率的なトレーニング方法がまだ確立していなかった時代に
今に通じるトレーニングを行っていたザトペックさん
彼が残した功績は後世のランナーに非常に大きな存在と言えるのではないでしょうか。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 人間機関車 エミール・ザトペック 」
ランナーの中でも注目されているトレーニングの生みの親とされている方が
9月19日ご存命なら101歳のお誕生日を迎えるエミール・ザトペックさんです。
エミール・ザトペックさんはチェコ、現役当時はチェコスロバキアの陸上選手。
1922年9月19日、チェコ共和国のモラヴィア・シレジア地方の
ノヴィー・イチーン地区にある町コプジヴニツェで第6子として生まれます。
16歳の時にズリーンにあった靴工場で働き始めますが、
19歳になったある日、突然ザトペックを含めた4人の青年が工場の実業団コーチから
陸上競技の試合に出るよう言い渡されます。
このときザトペックさんは陸上走者としては長身である182cmという
自身の体格を理由に断りをいれますが、メディカルチェックを受けさせられ
「異常無し」との通達を受けて仕方なく試合に出場。
ただ、本番ではやる気が出たこともあり100m走でいきなり2位に入ります。
この偶然の出来事が彼の競技人生のスタートとなりました。
その後、地元のアスレチッククラブに所属。
20世紀初頭に長距離走をほぼ支配したとされるフィンランドの陸上選手
「パーヴォ・ヌルミ」をモデルとして競技を続けていきます。
すると1943年に2000m、3000m、5000mで当時のチェコスロバキア記録を更新。
第二次世界大戦では一度チェコスロバキア軍に入隊しますが、
軍から練習を優先することを許され、1946年、24歳の時にはヨーロッパ選手権で
チェコスロバキアのナショナルチームの一員に選選抜。
5000mで14分25秒8を出し自身の持つチェコスロバキア記録を更新。
1948年26歳の時にはロンドンオリンピックに出場。
1万mで金メダル、更に30歳で出場した1952年のヘルシンキオリンピックでは
5000m・1万m・そしてなんとマラソン競技にも出場し金メダルを獲得。
しかも5000mと1万mでは五輪記録を樹立。
その1万mでは1948年のロンドン五輪に続き2大会連続の金メダル。
驚くことにザトペックさんがマラソンに挑戦したのはこの時が初でした。
レースでザトペックさんは当時の世界記録保持者だったジム・ピーターズさんの後ろを走っており、
15km地点を過ぎたあたりで「異変」に気づきます。
ザトペックさんが「ねえピーターズ、今のペース速すぎない?」と聞くと、
ピータースさん「いいやザトペック、むしろ遅すぎるぐらいだよ。」とやりとりをします。
実はピーターズさんはイギリス人特有の皮肉を言ったつもり、
つまり「普段はもっと速いんだぜ」と自慢するつもりでしたが、
ザトペックさんは真に受けてしまい、そこから急激にペースアップ。
そのまま2位を2分半も引き離し、世界記録を塗り替えてゴールしてしまったということなんです。
こうして生まれた長距離三冠の記録は、
それぞれでレベルの上がっている現代の陸上長距離界においては、
今後達成する選手はいないだろうと考えられている記録です。
そんな彼の走り方の特長は「顔をしかめ、喘ぎながら走るスタイル」から
「人間機関車」と称されます。
その懸命に走る姿に、投げ方が似ているということでかつて長嶋茂雄さんの
ライバルと呼ばれた元阪神タイガースの投手村山実さんの投げ方は
「ザトペック投法」と呼ばれるほど、世界的に有名な走り方でした。
そんな長距離3冠を達成したヘルシンキオリンピック前に彼が取り入れた走り方が
「インターバル走法」と言われる今もランナーのトレーニングに用いられている練習法です。
このインターバルトレーニングとは、不完全回復を挟みながら運動(中強度〜高強度)を繰り返す
トレーニング方法で、陸上競技中長距離において
スピードを持続する能力向上のために開発された方法です。
その後、様々なスポーツのトレーニングに応用されるようになりました。
ただ、効果は非常に高いものの、疲労度が高く体にかなりの負担がかかるので、
その準備段階として十分にコンディションや有酸素機能を高めた上で行うことが推奨されていて
専門的な知識も必要なトレーニングです。
更に筋肉や関節などの運動器に異常、例えば筋肉が慢性的に痛い、
あるいは3時間程度の持続走が習慣的(週3回程度)に実施できない、
という体調であれば、インターバルトレーニングの実施は問題が生じるか、
効果が得られない可能性が高いというかなり難しいトレーニング方法です。
そんな難しいトレーニングですが、厳密に言うと彼が生み出したものではなく、
冒頭で陸上を始めた際にザトペックがモデルとして尊敬していた
マラソン選手「パーヴォ・ヌルミ」さんの練習方法からヒントを得たと言われています。
そんな中、ヘルシンキ五輪に向けてトレーニングを行ったザトペックさんですが、
当然まだ専門的な知識はなかったのにもかかわらずなぜ故障しなかったのでしょうか?
そのトレーニング内容は400mインターバル走100本を2週間続けるというものでした。
ザトペックさんの具体的な練習法は・・
〇ロードで足を痛めないよう常に気を配る
〇インターバル走は不整地で行う
といった内容でした。
ザトペックさんの伝記によると、もともとトラック選手だったザトペックさんは、
マラソンに挑戦することに懐疑的だったそうです。
その理由は、ロードを走るマラソンは脚を痛める心配があるから。
つまり、故障を恐れ、故障しない対策を講じたことが
ザトペックさんの真の強みだったということです。
そうした懸念からヘルシンキ五輪に向けたインターバル走は森の中で行っていたそうです。
森の中なら地面がフカフカして柔らかく、脚への負担も大幅に軽減できるという訳です。
ザトペックさんは3000mの選手の頃から100mの全力疾走とジョギングを繰り返す
インターバル走を練習に取り入れていましたが、
当時インターバル走がまだ認知されていない時代だったので、
チームメイトからは「お前は短距離選手になるつもりか?」といわれたそうです、
しかしザトペックさんはすぐさま「100mを30回走れば3kmになるよね」と言い返したそうです。
最近ではクッション性能に優れたランニングシューズ、
いわゆる厚底シューズが業界を席巻していますが、これを履いていればロードで
スピード練習を行う時、接地の際の衝撃を和らげることができます。
つまり、森の中に行かずともインターバルトレーニングが可能になった時代ともいえるでしょう。
ちなみに、奥様のダナ・ザトペコワさんも陸上競技選手で、
1952年のヘルシンキオリンピックやり投競技で金メダル、
1960年ローマオリンピックのやり投競技で銀メダルを獲得。
ご夫婦揃って金メダリストという方です。
その奥様の証言などから現役ランナーの方にも役立ちそうな
ザトペックさんの言葉をご紹介します。
・コンディションが悪い時に練習を行っておけば、競技会の時には非常に楽である
・睡眠時間はたいてい7時間
・タバコは一度も吸ったことはなかった
・当初は夕食時にビールを飲んでいたが、ミネラルウォーターに切り替えた
・果物が大好きだ。新鮮なものでも良いし、ビン詰めでも良い
・(ダナさんの証言)「主人に何を料理したらいちばん喜ばれるかがわかったのです。
大豆、いんげん、じゃがいも、にんじん、それと大量のにんにくとたまねぎ」
コンディション維持や効率的なトレーニング方法がまだ確立していなかった時代に
今に通じるトレーニングを行っていたザトペックさん
彼が残した功績は後世のランナーに非常に大きな存在と言えるのではないでしょうか。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
10月からのあさミミ!は、よりコンパクトに分かりやすく!!
STVラジオこの秋からの朝の番組についてお知らせです!
あの番組が帰ってきます!
ニッポン放送をキーステーションにお送りしている
『上柳昌彦 あさぼらけ』が、2年半ぶりにSTVラジオで復活します!
放送は毎週火曜日~金曜日 あさ4時30分から5時までの生放送。
スタートは10月3日(火)からです。
朝一番の最新ニュースはぜひ「あさぼらけ」お付き合いください!
「あさミミ!」メンバーは変わらず、
月曜~水曜は八幡&庭野コンビ、木曜・金曜は永井&上田コンビです!
月曜~水曜は八幡&庭野コンビ、木曜・金曜は永井&上田コンビです!
ただ、放送時間が少し変わります。
10月2日(月)から、あさ5時50分から8時までの2時間10分の生放送になります!!
これまでより少し短くなりますが、よりコンパクトにわかりやすくお届けしていきます。
6時30分からは変わらず「あさミミ!アラカルト」。
一部リニューアルします!これは追って番組内で発表しますのでお楽しみに!
さらに7時台後半はちょっとした新コーナーも予定しています!
ぜひこの秋からも朝一番はSTVラジオ
そして「北海道ライブあさミミ!」にお付き合いください!
あさミミ家庭菜園企画!続々収穫中!
「あさミミ!家庭菜園企画」
「サッポロさとらんど」の市民農園で
番組用の畑と、上田あやさん個人の畑の二つを借用中。
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
ぜひ皆さんからの家庭菜園レポートもお待ちしています!
あなたの畑の情報ぜひ教えてください!
メール asamimi@stv.jp はもちろん、
ツイッターで #あさミミ家庭菜園 をつけてぜひつぶやいてください!
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あさミミ農園のじゃがいも「きたあかり」!
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スイカも無事育ち、美味しくいただきました!
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夏にはパーソナリティ揃ってラディッシュ収穫しました!