今朝の放送内容 10月4日(水)
2023年10月4日(水)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●維新・鈴木宗男議員がモスクワ訪問 高官と会談 侵攻後に国会議員で初
●道路を横断中の60代女性が原付バイクにはねられる 札幌市手稲区
●「アマゾン」と「アークス」がタッグ 生鮮食品の配送サービス開始へ 道内初
●来年の年賀はがきが道内に到着 来月1日から販売 去年より約2億枚少なく
●一時1ドル150円突破後に急反発 政府・日銀が“為替介入”か
●「置き配」にポイント付与を想定 物流業界「2024年問題」政府が緊急対策検討
●ノーベル物理学賞 米欧の研究者ら3人に 「光のパルス」で観測する手法を開発
●熊本サッカー強豪校“全裸で土下座強要”いじめ発覚で第三者委員会設置
【速報】体操・世界選手権 日本男子団体が2015年以来の金メダル
●杭州アジア大会 男子400mリレーで2位 連覇逃す
●ファイターズ 井口和朋投手、姫野優也投手が戦力外 合同トライアウト参加へ
●野球日本代表・侍ジャパン監督 井端弘和氏に決定 近日中就任会見
●メジャーリーグ きょうからプレーオフ
●エンゼルス・ネビン監督が退任 GM「大谷選手と再契約目指す」
●きのうのプロ野球結果
●道路を横断中の60代女性が原付バイクにはねられる 札幌市手稲区
●「アマゾン」と「アークス」がタッグ 生鮮食品の配送サービス開始へ 道内初
●来年の年賀はがきが道内に到着 来月1日から販売 去年より約2億枚少なく
●一時1ドル150円突破後に急反発 政府・日銀が“為替介入”か
●「置き配」にポイント付与を想定 物流業界「2024年問題」政府が緊急対策検討
●ノーベル物理学賞 米欧の研究者ら3人に 「光のパルス」で観測する手法を開発
●熊本サッカー強豪校“全裸で土下座強要”いじめ発覚で第三者委員会設置
【速報】体操・世界選手権 日本男子団体が2015年以来の金メダル
●杭州アジア大会 男子400mリレーで2位 連覇逃す
●ファイターズ 井口和朋投手、姫野優也投手が戦力外 合同トライアウト参加へ
●野球日本代表・侍ジャパン監督 井端弘和氏に決定 近日中就任会見
●メジャーリーグ きょうからプレーオフ
●エンゼルス・ネビン監督が退任 GM「大谷選手と再契約目指す」
●きのうのプロ野球結果
今朝の選曲
【6時台】
M「デイドリーム・ビリーバー/原田知世」
M「愛燦燦/小椋佳」
M「デイドリーム・ビリーバー/原田知世」
M「愛燦燦/小椋佳」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 不沈艦 スタンハンセン 」
番組の視聴率の為に驚くような方法で
引き抜かれたプロレスラーがいたのをご存知でしょうか?
それが日本で最も成功したと言われる外国人レスラー「スタン・ハンセン」さん。
スタン・ハンセンさんはウエスト・テキサス州立大学卒業後、
NFLボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)、
サンディエゴ・チャージャーズに入団しますが、最終的には解雇され、
故郷の中学校で教師となり教鞭を執ります。
ただ、当時の教職の収入はハンセンさんにとって非常に不満のあるもので、
悶々としていたところ、大学時代のフットボール部の先輩であったプロレスラーで
先ごろご逝去されましたテリー・ファンクさんから声がかかり、
プロレス界にスカウトされます。
1973年にプロレスラーとしてデビュー。
以降、フロリダ地区などを転戦してキャリアを積んだ後、
ミッドサウス地区でタッグチームとして活動。
1974年10月にはUSタッグ王座を獲得し、初のチャンピオンとなります。
その後、1976年には当時のWWWFヘビー級王者、日本でも「人間発電所」の
異名で知られたブルーノ・サンマルチノの首を骨折させた試合で自身が開発した
「ウエスタン・ラリアット」が有名となり、以降この技が彼の代名詞となります。
このラリアットという技の着想はアメリカンフットボールのテクニックにあります。
現在のルールでは禁止されているハイタックルの応用で、
腕を相手の首に当てると同時にそこを作用点として押し倒す技です。
肘の内側を相手の首めがけて振り抜く技で100kgを超えるヘビー級のレスラーも
一発で倒れるくらいの威力あるものでした。
ただ、ブルーノ・サンマルチノの骨折はこのラリアットが原因ではなく、
他の技の失敗によるものでしたが、プロレスは喧伝も含めてが魅力なので、
この出来事がさらに彼の存在と共にラリアットの価値を高めるものとなりました。
一方でこの試合以降はクラッシャー(壊し屋)の烙印を押されたために対戦を嫌われ、
アメリカでの活躍の機会は少なくなっていきます。
そんな中、1977年には本格的に日本に参戦を果たします。
この頃WWWFとの提携ルートがあったアントニオ猪木さん主宰の新日本プロレスに初参戦。
この年の秋の再来日からはシリーズの外国人エースを務め、
9月2日にはアントニオ猪木さんの持つNWFヘビー級王座に初挑戦。
9月29日には大阪府立体育館にてザ・ハングマンをパートナーに、
北米タッグ王座にも挑戦するなど活躍の場を広げます。
1980年にはついにアントニオ猪木さんからNWFヘビー級王座を奪取。
以降も猪木さんのライバルとして成長し、NWF王座をめぐる名勝負を展開していきます。
更に後に映画ロッキー3にも出演するなど人気だったレスラー「ハルク・ホーガン」ともタッグを組み、
トップ外国人レスラーとして存在感を高め続けます。
その圧倒的な強さから、当時のテレビ朝日実況アナウンサーだった古舘伊知郎さんに、
「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」などと形容されるまでになります。
こうした強さと人気は当然、中継しているテレビ局の視聴率にも反映されます。
当時のプロレス中継はジャイアント馬場さん主宰の全日本プロレスは日本テレビが放送権を持ち、
アントニオ猪木さん主宰の新日本プロレスはテレビ朝日が放送権を持っていました。
そんな中1981年5月、全日本プロレスで人気だったアブドーラ・ザ・ブッチャーを
新日本プロレスが引き抜きます。
これに対し全日本プロレスと日本テレビは、新日本プロレスの外国人選手を引き抜くという
報復工作を行うことを決定。
引き抜き工作は『全日本プロレス中継』のプロデューサーの原章さんが
ジャイアント馬場さんに提案、合意したといわれています。
更に引き抜き工作の予算も日本テレビから降り、
6月15日にテリー・ファンクさんの仲介によってダラス・フォートワース国際空港に隣接するホテルで
ハンセンさんは馬場さんと会談、新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍を確約。
新日本の年内日程を消化させた後、12月13日開催の蔵前国技館大会に登場させる事も確約。
更にハンセンさんが試合をしない場合でも、
ハンセンさんが『全日本プロレス中継』に登場した場合は違約金が発生する事になるため、
新日本プロレスに対する違約金を支払うことも合意。
この移籍は12月初旬の段階でもごく限られた関係者しか知らされていませんでした。
12月11日に、新日本プロレス「第2回MSGタッグ・リーグ戦」最終戦が行われた大阪から帰京直後、
新日本の定宿であった京王プラザホテルをチェックアウトし、
全日本プロレスが用意したホテルである高輪東武ホテルへ移動。
そして2日後の12月13日、蔵前国技館で行われた全日本プロレスの
「'81世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦にブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組の
セコンドとしてハンセンさんは登場します。
当日の実況を務めた倉持隆夫アナウンサーは、2日前まで新日本プロレスに参戦していた
ハンセンさんの名前をいきなり出すのはまずいと考え、
控室を出た際に「これは誰でしょうか?ウエスタンハットをかぶった大型の男」と実況、
ただ花道に登場した際には「あっ!スタン・ハンセンだ!スタン・ハンセンがセコンドですね」
と実況したというエピソードも残っています。
そして、この時、試合中に場外で対戦相手のテリー・ファンクさんに
ラリアットを放ってKOしたことで会場は騒然、試合後も相手のファンクスに暴行を加え続けたため、
騒動を聞きつけた馬場さんが駆けつけ、ハンセンさんを
脳天チョップで流血させるなどの乱闘を演じます。
そして、最終的に馬場さんは「他人の家に土足で入ってくるようなマネをしてくれた。
絶対に許せない。一騎打ちで戦う」と声を荒げるという・・
まさにシナリオ通りの展開で視聴者は興奮のるつぼと化します。
金曜20:00~の新日本プロレス中継に対し、日本テレビは巨人戦の中継もあったため、
全日本プロレス中継はこの頃土曜17:30 - 18:24のローカルセールス枠に変更となり、
視聴率が伸び悩んでいました。
視聴率の高い新日本プロレスのエース外国人の引き抜きはこうした事情も相まって行われました。
ハンセンさんはその後も、全日本プロレスで長く活躍されましたが、
両膝の故障が元で2000年11月に引退を表明。
2001年1月、東京ドームでのジャイアント馬場さん三回忌追悼興行で
引退セレモニーが新日本・全日本の両団体選手が参列する中行われました。
視聴率の為に極秘裏のうちに描かれたストーリーに乗って移籍をする。
プロレスのエンターテイメント性を感じる
エピソードの渦中にいた人物がスタン・ハンセンさんでした。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 不沈艦 スタンハンセン 」
番組の視聴率の為に驚くような方法で
引き抜かれたプロレスラーがいたのをご存知でしょうか?
それが日本で最も成功したと言われる外国人レスラー「スタン・ハンセン」さん。
スタン・ハンセンさんはウエスト・テキサス州立大学卒業後、
NFLボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)、
サンディエゴ・チャージャーズに入団しますが、最終的には解雇され、
故郷の中学校で教師となり教鞭を執ります。
ただ、当時の教職の収入はハンセンさんにとって非常に不満のあるもので、
悶々としていたところ、大学時代のフットボール部の先輩であったプロレスラーで
先ごろご逝去されましたテリー・ファンクさんから声がかかり、
プロレス界にスカウトされます。
1973年にプロレスラーとしてデビュー。
以降、フロリダ地区などを転戦してキャリアを積んだ後、
ミッドサウス地区でタッグチームとして活動。
1974年10月にはUSタッグ王座を獲得し、初のチャンピオンとなります。
その後、1976年には当時のWWWFヘビー級王者、日本でも「人間発電所」の
異名で知られたブルーノ・サンマルチノの首を骨折させた試合で自身が開発した
「ウエスタン・ラリアット」が有名となり、以降この技が彼の代名詞となります。
このラリアットという技の着想はアメリカンフットボールのテクニックにあります。
現在のルールでは禁止されているハイタックルの応用で、
腕を相手の首に当てると同時にそこを作用点として押し倒す技です。
肘の内側を相手の首めがけて振り抜く技で100kgを超えるヘビー級のレスラーも
一発で倒れるくらいの威力あるものでした。
ただ、ブルーノ・サンマルチノの骨折はこのラリアットが原因ではなく、
他の技の失敗によるものでしたが、プロレスは喧伝も含めてが魅力なので、
この出来事がさらに彼の存在と共にラリアットの価値を高めるものとなりました。
一方でこの試合以降はクラッシャー(壊し屋)の烙印を押されたために対戦を嫌われ、
アメリカでの活躍の機会は少なくなっていきます。
そんな中、1977年には本格的に日本に参戦を果たします。
この頃WWWFとの提携ルートがあったアントニオ猪木さん主宰の新日本プロレスに初参戦。
この年の秋の再来日からはシリーズの外国人エースを務め、
9月2日にはアントニオ猪木さんの持つNWFヘビー級王座に初挑戦。
9月29日には大阪府立体育館にてザ・ハングマンをパートナーに、
北米タッグ王座にも挑戦するなど活躍の場を広げます。
1980年にはついにアントニオ猪木さんからNWFヘビー級王座を奪取。
以降も猪木さんのライバルとして成長し、NWF王座をめぐる名勝負を展開していきます。
更に後に映画ロッキー3にも出演するなど人気だったレスラー「ハルク・ホーガン」ともタッグを組み、
トップ外国人レスラーとして存在感を高め続けます。
その圧倒的な強さから、当時のテレビ朝日実況アナウンサーだった古舘伊知郎さんに、
「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」などと形容されるまでになります。
こうした強さと人気は当然、中継しているテレビ局の視聴率にも反映されます。
当時のプロレス中継はジャイアント馬場さん主宰の全日本プロレスは日本テレビが放送権を持ち、
アントニオ猪木さん主宰の新日本プロレスはテレビ朝日が放送権を持っていました。
そんな中1981年5月、全日本プロレスで人気だったアブドーラ・ザ・ブッチャーを
新日本プロレスが引き抜きます。
これに対し全日本プロレスと日本テレビは、新日本プロレスの外国人選手を引き抜くという
報復工作を行うことを決定。
引き抜き工作は『全日本プロレス中継』のプロデューサーの原章さんが
ジャイアント馬場さんに提案、合意したといわれています。
更に引き抜き工作の予算も日本テレビから降り、
6月15日にテリー・ファンクさんの仲介によってダラス・フォートワース国際空港に隣接するホテルで
ハンセンさんは馬場さんと会談、新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍を確約。
新日本の年内日程を消化させた後、12月13日開催の蔵前国技館大会に登場させる事も確約。
更にハンセンさんが試合をしない場合でも、
ハンセンさんが『全日本プロレス中継』に登場した場合は違約金が発生する事になるため、
新日本プロレスに対する違約金を支払うことも合意。
この移籍は12月初旬の段階でもごく限られた関係者しか知らされていませんでした。
12月11日に、新日本プロレス「第2回MSGタッグ・リーグ戦」最終戦が行われた大阪から帰京直後、
新日本の定宿であった京王プラザホテルをチェックアウトし、
全日本プロレスが用意したホテルである高輪東武ホテルへ移動。
そして2日後の12月13日、蔵前国技館で行われた全日本プロレスの
「'81世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦にブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組の
セコンドとしてハンセンさんは登場します。
当日の実況を務めた倉持隆夫アナウンサーは、2日前まで新日本プロレスに参戦していた
ハンセンさんの名前をいきなり出すのはまずいと考え、
控室を出た際に「これは誰でしょうか?ウエスタンハットをかぶった大型の男」と実況、
ただ花道に登場した際には「あっ!スタン・ハンセンだ!スタン・ハンセンがセコンドですね」
と実況したというエピソードも残っています。
そして、この時、試合中に場外で対戦相手のテリー・ファンクさんに
ラリアットを放ってKOしたことで会場は騒然、試合後も相手のファンクスに暴行を加え続けたため、
騒動を聞きつけた馬場さんが駆けつけ、ハンセンさんを
脳天チョップで流血させるなどの乱闘を演じます。
そして、最終的に馬場さんは「他人の家に土足で入ってくるようなマネをしてくれた。
絶対に許せない。一騎打ちで戦う」と声を荒げるという・・
まさにシナリオ通りの展開で視聴者は興奮のるつぼと化します。
金曜20:00~の新日本プロレス中継に対し、日本テレビは巨人戦の中継もあったため、
全日本プロレス中継はこの頃土曜17:30 - 18:24のローカルセールス枠に変更となり、
視聴率が伸び悩んでいました。
視聴率の高い新日本プロレスのエース外国人の引き抜きはこうした事情も相まって行われました。
ハンセンさんはその後も、全日本プロレスで長く活躍されましたが、
両膝の故障が元で2000年11月に引退を表明。
2001年1月、東京ドームでのジャイアント馬場さん三回忌追悼興行で
引退セレモニーが新日本・全日本の両団体選手が参列する中行われました。
視聴率の為に極秘裏のうちに描かれたストーリーに乗って移籍をする。
プロレスのエンターテイメント性を感じる
エピソードの渦中にいた人物がスタン・ハンセンさんでした。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
NEW!月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立」
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!
火曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
10月は毎週おひとりに『あやほのか』ついにプレゼント!!
新米「あやほのか」企画
去年は上田さんと油野ANが収穫した、深川市旭農場さんの新米を
「あやすみほ」と銘打って、秋にリスナープレゼントいたしました。
2023年は「あやほのか」(上田あやと庭野ほのかAN)と名前も新たに、
お米の田植えから収穫までチャレンジしようじゃないかという企画です!
(今回のお米の品種は「おぼろづき」です)
先月、庭野ANと上田さんで稲刈りして来ました!
深川市旭農場さんの新米おぼろづき『あやほのか』5キロを
10月毎週お一人の方にプレゼントいたします!!
※毎週金曜日に当選者発表します。11月3日(金)がラストで、トータル5名様!
ぜひ10月はあさミミ、どのような形でご参加いただいてもかまいません!
全ての方が当選対象です。たくさんのご参加お待ちしています!
今回の「あやほのか」稲刈り模様は、6日(金)のあさミミアラカルト
上田さんのコーナー「あやサポ」でご紹介しますのでお楽しみに!
「あさミミ!家庭菜園企画」
「サッポロさとらんど」の市民農園で
番組用の畑と、上田あやさん個人の畑の二つを借用中。
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
ぜひ皆さんからの家庭菜園レポートもお待ちしています!
あなたの畑の情報ぜひ教えてください!
メール asamimi@stv.jp はもちろん、
ツイッターで #あさミミ家庭菜園 をつけてぜひつぶやいてください!
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5月田植えの様子!
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夏にはパーソナリティ揃ってラディッシュ収穫しました!