北海道ライブ あさミミ!

今朝の放送内容 1月31日 (水)

2024年1月31日(水)

今朝の放送内容

今朝の主なニュース・スポーツ情報

●【速報】札幌市で男性歩行者がタクシーにはねられ意識不明の重体 函館市でも交通事故
●【続報】男性歩行者が意識不明の重体 別の車にもはれられる ひき逃げか 札幌市 
●48歳男性が屋根から雪下ろし中に転落 ドクターヘリで搬送 小樽市
●単独で維持困難な8線区 改善策を3年程度遅らせてまとめる方針 JR北海道
●体育館のタンクから重油が漏れ出す 猛吹雪で給油管破損 稚内市
●札幌市の来年度予算案を発表 学校に冷房設置 経済投資推進へ
●桐島聡容疑者を名乗る男「ずっと一人で生活していた」
●谷川弥一元衆議院議員に罰金100万円 公民権停止3年の略式命令
●輪島市の小学校で授業再開 能登半島地震の被災地
●岸田総理が施政方針演説 政治資金めぐる事件を陳謝「心からおわび」
●北海道転出超過5238人 東京一極集中が加速
●荷待ち削減計画の策定義務化 トラック運転手の長時間労働・低賃金を改善

●レバンガ きょうホームで群馬戦
●ファイターズ 外国人4選手が入団会見「チームに貢献」
 清宮幸太郎選手が左足関節捻挫と診断 実戦復帰まで約5週間の見通し
●コンサドーレ沖縄キャンプ 新加入・高尾瑠選手が右CB先発に意欲
●カーリング日本選手権 女子・道銀開幕3連勝

今朝の選曲

【6時台】
M「シャイニン・オン・君が哀しい/ LOOK 」

M「HALFWAY / Salyu 」
  • 北海道ライブ あさミミ!

あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス

八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。

今回は「 奪三振王 ノーラン・ライアン 」

今日1月31日はメジャーの奪三振王ノーラン・ライアンさん77歳のお誕生日。
本名リン・ノーラン・ライアン・ジュニアさんは
1947年1月31日 生まれ、アメリカテキサス州レフュージオ出身の元プロ野球投手。
6人兄弟の末っ子として生まれますが、家は貧しく、
お父さまは朝刊の配達と石油会社の勤務を掛け持ち。
こうした環境からかライアンさんは、12歳の頃には自ら貯めたお金で子牛を買って育て、
それを売り、その金で新しい子牛を買いまた育てて売るという「事業」を展開、
こうして牛を増やし、高校入学時には自分の牧場を借りるまでになっていたそうです。
また中学1年にして自分の車も所有していたという話も残るほど、
幼いころから“稼ぐ”才能に長けていたそうです。

一方の野球では高校時代に7回を投げ19奪三振を記録するなど
速球派投手として名をはせていたそうです。
そんな活躍もあってか、アメリカでは大卒で入団する選手も多い中、
ライアンさん18歳の1965年MLBドラフトでニューヨーク・メッツから12巡目に指名を受け
入団を果たします。
新人の1966年はシングルAでいきなり17勝2敗、防御率2.51、272奪三振、127四球を記録し、
この中の奪三振・四球・勝利数は当時のリーグ新記録だったそうです。
その後、最優秀投手に選出され、翌年は3Aウィリアムスポートに昇格。
この年の試合で9回1/3で21奪三振、つまり取れるアウト25個中21個を三振で奪うという離れ業を記録。
この活躍が評価されて早くもメジャー昇格。
9月のアトランタ・ブレーブス戦でメジャーデビューを果たし、
初先発も経験しますが1回4失点で降板し敗戦投手となるなど1敗・防御率15.00の成績に終わります。
2年目の1967年はシーズン前半を陸軍予備兵として過ごし後半に復帰しましたが、
右肘の腱を断裂。リハビリでメジャーでの出場はありませんでした。

そして奪三振王の片りんを見せ始めるのが、3年目の1968年。
開幕から先発ローテーションに入り、5月14日のシンシナティ・レッズ戦で
当時の球団記録14奪三振を達成。
後半こそ故障で離脱しますが6勝9敗、防御率3.09、134イニングで133奪三振を記録しました。
そして4年目の1969年4月の開幕第2戦モントリオール・エクスポズ戦では、
この年から公式記録となったセーブを球団史上初めて記録。
主にリリーフとしてチームの地区優勝に貢献。
その後のプレーオフでも球団創設以来初のリーグ優勝。
さらにワールドシリーズでも4勝1敗でワールドチャンピオンに輝きました。
ただ、これが自身最後のワールドシリーズ優勝でチーム成績が振るわなかったことも
投手最高賞のサイ・ヤング賞をとれなかった原因なのかもしれません。

1970年代に入ると彼の勢いはとまりません。
1970年4月のフィリーズ戦では初回先頭打者に安打を打たれますが、
その後無安打に抑えて15奪三振でメジャー初完封。
1971年は初の二けた勝利となる10勝14敗、防御率3.97、152イニングで137奪三振でしたが、
一方で116四球と制球に苦しみます。
そして、彼のキャリアで転機となったのが翌1972年。
1971年12月にジム・フレゴシとの交換トレードでリロイ・スタントン、
他2選手と共にカリフォルニア・エンゼルスへの移籍が決まります。
その1972年は春のキャンプで捕手のジェフ・トーボーグと共にフォーム改造に取り組みます。
「投球モーションを急ぐために足の踏み出しに腕の振りが追い付いていない。」とフォームを分析。
その後、選手会が年金問題を掲げて史上初のストライキに入ると、
ストライキ収拾後も監督やコーチと、時間をかけて東急モーションの改造を行います。
すると前半で11勝を挙げ、自身初のオールスターゲームに選出。
後半は防御率1.41と安定感が増し、19勝16敗、防御率2.28、
いずれもリーグ最多の329奪三振、9完封、ただ、一方で157四球、18暴投を記録しますが、
初の最多奪三振のタイトルを獲得。
しかも、この年の9回あたり被安打数5.26は当時のMLB記録で、
コロナの影響で60試合制だった2020年に
元横浜DeNAトレバー・バウアーとディネルソン・ラメットに抜かれるまでMLB記録、
現在もア・リーグ記録というものです。

そして、翌1973年5月のロイヤルズ戦でノーヒットノーランを達成。
7月のタイガース戦では17奪三振で史上2人目の年間2度目のノーヒットノーランを達成。
ちなみにこの試合の最後の打者ノーム・キャッシュは
クラブハウスにあったテーブルの脚を持って打席に立ったそうで、
結果球審に制止され渋々バットに持ち替えたそうですが、
その際「バットじゃ奴の球は打てない。
これを使わせてくれ」と言ったという逸話も残っています。
そして、この年記録したのが21勝16敗、防御率2.87、
そしていまだMLB記録である383奪三振と2桁奪三振23試合。
ただ一方でリーグ最多の162四球を記録したが、サイ・ヤング賞の投票では
ジム・パーマーに次ぐ2位で終わりました。
これもエンゼルスがア・リーグ西地区4位。パーマーのオリオールズが
ア・リーグ東地区優勝というチームの成績が影響したのかもしれません。

さらに翌1974年8月のレッドソックス戦では当時のMLBタイ記録の19奪三振を記録。
20日のタイガース戦では、球団の企画で赤外線レーダーによる球速の測定が行われ、
100.9mph(162.4㎞/h)を記録し、ギネス世界記録に認定されるということもありました。
しかし全ての球を計測したわけではなく、その1球は9回に記録されました。
そして9月のツインズ戦では15奪三振で3度目のノーヒットノーランを達成。
キャリアハイの22勝16敗、防御率2.89、いずれもリーグ最多の367奪三振、
332.2イニング、202四球を記録しています。
その後、1975年には3年連続4度目のノーヒットノーランを達成。
1979年にヒューストン・アストロズへ移籍した際は4年450万ドルで契約し、
史上初の100万ドルプレーヤー(当時1ドル239円、日本円で2億3900万)となります。

1983年通算3510個目の三振を奪い、ウォルター・ジョンソンが持つ
通算奪三振のメジャー記録を更新。
1989年には前人未踏の通算5000奪三振を達成。
1990年は43歳にして開幕投手を務め、6月には自身6度目のノーヒットノーランを達成。
3球団での達成は史上初。そして、1991年5月のブルージェイズ戦では体調が悪かったにもかかわらず、
16奪三振で7度目のノーヒットノーランを達成。
44歳3ヶ月での達成は現在でも史上最年長記録です。
1993年9月22日のマリナーズ戦で一死も取れずに2安打4四球5失点で降板。
降板後右肘に痛みが走り現役最後の登板となりました。
ただ、この時46歳で球速は98mph(約157.7km/h)を記録しました。

それにしても、ギネスにも乗るくらいの球速と奪三振数を記録しながら
なぜサイ・ヤング賞に選ばれなかったのか・・
それは「三振を奪う」「四球が多い」という面は
味方野手のリズムを生まないといわれています。
つまり守備で動くことで打席での足の運びにも好影響がありますが、
それがない奪三振ショーでは、打線の援護が少なく、結果勝ち星に恵まれず、
それがチーム成績にも反映した部分もあるのではないでしょうか。
ただ、記録したノーヒットノーラン7回、1989年には32回の登板で
6回ものノーヒットノーラン未遂の投球をするなど
投手能力が高いことには変わりはありませんでした。
「すごい投手」と「勝てる投手」がいるならば、
ノーラン・ライアンは間違いなく前者だったといえるでしょう。

毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」

月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!

火曜日は
庭野ほのかの☆いっぺこトーク
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
 
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
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木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
 
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
 
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