北海道ライブ あさミミ!

今朝の放送内容 4月19日(火)

2022年4月19日(火)

4月19日(火)

今朝の主なニュース・スポーツ情報

●リビウでミサイル攻撃 7人死亡
●鳥インフルエンザ 殺処分続く
●道内感染者1766人 全国2万4千人
●ノババックスワクチン承認へ
●中国GDPが鈍化傾向
●北区飲酒ひき逃げ 懲役5年求刑
●吉野家常務取締役が不適切発言
●森永製菓がアイス値上げ
●千葉市の貯水槽から遺体発見
●白石区老人ホームで鯉のぼり

●きのうの大リーグ試合結果
 パドレス・ダルビッシュ有選手 通算80勝で日本人2位
 カブス鈴木誠也選手 デビュー8戦連続安打 週間MVP受賞
●きょうの大リーグ試合予定
●プロ野球 新型コロナの後遺症調査へ Jリーグは応援法を調査
●ファイターズ 阪神伝説継投「遠山・葛西スペシャル」再現示唆
 スピードスケート女子・高木美帆選手 28日東京ドームのオリックス戦で始球式 
●コンサドーレ あすルヴァン杯京都戦 

今朝の選曲

【5時台】
M「虹/手嶌葵」

【6時台】
M「十七歳の地図/尾崎豊」

【7時台】
M「コンプリケイテッド/アヴリル・ラヴィーン」
  • 北海道ライブ あさミミ!

あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス

八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。

今回は『 元アスリートのイメージが無いタレントさん 』

始めにご紹介するのは、タレントの上地雄輔さんです。
上地さんというと、バラエティ番組発のユニットで
つるの剛士さん・野久保直樹さんと組んで出した曲「羞恥心」のイメージ。
そんな上地さんのもう一つの顔といえば「元高校球児」という一面です。
それも並の高校球児ではなく、所属していたのがあのプロ野球選手も多数輩出している
神奈川県の名門横浜高校野球部。
しかも、入学する際も合わせて38校からスカウトを受けた末に野球エリートが揃っている横浜高校を選び、
その年3名しかいなかったという「野球特待生」で入学したという、エリート中のエリートでした。
おまけに、1学年下で入ってきたのが「平成の怪物」でおなじみプロ野球を引退した松坂大輔さんで、
松坂さんが入部すると最初にバッテリーを組んだのが上地さんだったという・・
もはや伝説に近いすごいエピソードを持った人です。
ただ、2年次の神奈川県大会中に、右肘の神経を断裂したことなどもあり、
複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたものの、芸能界のスカウトを受けたのをきっかけに、
俳優としての道を志し、現在のご活躍に至るということです。

続きまして、元タレントの江角マキコさん。
江角マキコさんと言えばドラマ「ショムニ」の大ヒットで注目され、
その後もCMやスタイルを生かしたモデル活動など幅広い活躍をされたタレントさんでしたが
元々は実業団のバレーバール選手だったということはご存知でしょうか?
今は、Vリーグという名称で国内バレーボールトップリーグが行われていますが、
その昔は「日本リーグ」の名称で各企業のバレーボールチームが戦うリーグでした。
江角さんは1985年、高校卒業後当時の日本たばこ産業女子バレーボールチーム、
現Vリーグ・JTマーヴェラス(2020-21 V.LEAGUE DIVISION1:優勝チーム)に所属していた、
スーパーアスリートでした。しかも現在のJTマーヴェラス監督は
元日本代表妹背牛町出身の吉原智子さんですから、名門中の名門チームです。
ただ、入部2年目の1986年、右肩の故障もあり競技引退。
その後は身長170cmのスタイルを生かしファッションモデルに転身し女優としても活躍。
ちなみに、サッカーやバスケットボールもかつてはこの実業団による国内リーグでまだプロ化していない時代は、
いったんその企業に入社して午前中などに普通の仕事をこなし、午後からは各競技の練習をする・・
というような一日を過ごしていることもあったそうなんですが、
江角マキコさん日本たばこ(JT)では「塩事業部」に所属していたそうです。

お笑いタレントさんの中にも元アスリートの方がいます。
その方は「はーい!! どーん! どーん! どーん!ベタベッタ!どどーんがドーン!」でおなじみ、
安田大サーカス。その中で最も体の大きな「HIRO」くんです。
「えっ!?あの大食いのHIROくんが!?」と思う方も多いと思いますが、彼は中学校卒業後、
日本相撲協会相撲部屋「中村部屋(現:東関部屋)」へ入門、
最高位は序二段163枚目という記録が残っています。
ただ体調不良が続いた事により半年で引退、
一応引退時には既にしこ名がつけられていて現役時代のしこ名は「和歌桜」だったそうです。
力士としての現役は非常に短いものでしたが、
何より土俵に上がったという数少ない経験を持つ方です。
HIROくんは引退後、子供服店のアルバイトやトラック運転手などの仕事を転々とした後、松竹芸能に入社。
そこで団長安田、クロちゃんと出会い安田大サーカスを結成したというのが
現在までの流れとなっているようです。

最後に、元中日ドラゴンズのピッチャーでプロ通算77勝をマークした板東英二さんです。
板東さんが一躍有名になったのは何と言っても高校時代です。
当時は「甲子園大会での延長回数は無制限」でした。
しかし、1958年(昭和33年)の春季四国大会で板東英二さんが、対高知商業戦で延長16回、
翌日の対高松商業戦で延長25回をいずれも一人で完投。
2日間で41イニングを投げたことで、高野連の幹部役員が連盟や大会本部に働きかけ、
この年の第40回全国高等学校野球選手権大会から
「延長18回を終えて同点引き分けの場合はその時点で試合を終了し、後日再試合を行う。」という規定ができました。
ただ、実際にこの大会に出場した板東英二さんは、準々決勝、富山代表の魚津高校戦で
延長18回まで投げ引き分け。なんと自分がきっかでできた再試合という制度初の適用となりました。
それだけ延長で投げたんですから記録もすごくて、
1試合延長も含めた最多奪三振記録の25は板東さんが持ってますし、
1大会の最多奪三振83も今だに破られていない記録です。

ちなみにその後、延長は15回までになりますがそのきっかけは
上地雄輔さんが横浜高校入学後初めてのバッテリーだったという松坂大輔さんが、
現在は日本テレビアナウンサーの上重聡さん率いるPL学園と延長17回まで投げ合ったことで
2000年から適用となり、現在は13回からタイブレーク制が適用されています。
そんな高校時代の三振記録が目立つ板東英二さんですが、プロで記念すべき第1号の記録を持っています。
1966年8月26日、対巨人戦でリリーフ登板した際、2アウトからの登板で初球を投げたところ
相手打者が簡単に打ち上げアウトになります。その試合はリードされていたため、
板東さんはお役御免とベンチ裏に下がっていたんですが、なんとそこから中日が逆点!
勝利投手の権利が板東さんに転がり込んできて、試合も勝利。
この瞬間が日本人投手史上初の「1球勝利投手」の誕生ということとなりました。

いずれも今のお姿からは想像できないですが、
アスリートならではのチャレンジ精神があったからこその成功だったのかもしれません。

毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」


月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
 
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
 
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
 
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
 
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
 
 
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