今朝の放送内容 10月18日(水)
2023年10月18日(水)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●発進した車にはねられ4歳女児死亡 77歳男を逮捕 釧路市の病院前で
●強盗致傷容疑で55歳男を逮捕 男性を押し倒し財布を奪う 札幌市豊平区
●鈴木知事が官邸へ 北海道産ホタテの販路拡大へ支援要請
●NTT西日本の子会社が個人情報約900万件を不正流出 元派遣社員「名簿屋に渡した」
●イスラエル進出の日本企業87社が退避完了 原油価格「影響を注視」
●北海道新幹線 札幌延伸で新設駅のデザインを公表
●ガザ地区の病院に空爆、500人以上が死亡 バイデン米大統領がイスラエル訪問へ
●秋の高校野球全道大会 札幌ドームできょう開幕
●エスポラーダ 室田祐希選手が今季限りでの引退発表
●コンサドーレ 21日アウェーで横浜戦 田中駿汰選手「全試合出たい」
●サッカー日本代表・国際親善試合 チュニジアに2-0で快勝 国際Aマッチ6連勝
●プロ野球CSファイナルステージ きょうから始まる
●強盗致傷容疑で55歳男を逮捕 男性を押し倒し財布を奪う 札幌市豊平区
●鈴木知事が官邸へ 北海道産ホタテの販路拡大へ支援要請
●NTT西日本の子会社が個人情報約900万件を不正流出 元派遣社員「名簿屋に渡した」
●イスラエル進出の日本企業87社が退避完了 原油価格「影響を注視」
●北海道新幹線 札幌延伸で新設駅のデザインを公表
●ガザ地区の病院に空爆、500人以上が死亡 バイデン米大統領がイスラエル訪問へ
●秋の高校野球全道大会 札幌ドームできょう開幕
●エスポラーダ 室田祐希選手が今季限りでの引退発表
●コンサドーレ 21日アウェーで横浜戦 田中駿汰選手「全試合出たい」
●サッカー日本代表・国際親善試合 チュニジアに2-0で快勝 国際Aマッチ6連勝
●プロ野球CSファイナルステージ きょうから始まる
今朝の選曲
【6時台】
M「ホットミルク/いきものがかり」
M「いつのまにか君は/浜田良美」
M「ホットミルク/いきものがかり」
M「いつのまにか君は/浜田良美」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 苦難の人生 カズ山本 」
プロ野球はオフシーズンに入り「戦力外通告」や「引退」のニュースが
飛び交う季節となりました。
そんなアスリート人生の最後に感動を届けてくれた元プロ野球選手が、
かつて近鉄、南海、ダイエーなどで活躍した
今日66歳のお誕生日の山本こと山本和範さんです。
1957年10月18日福岡県小倉市、(現在の北九州市小倉北区)出身、
元プロ野球選手で外野手として主に活躍された方です。
現在は吉本興業スポーツ部に所属し、1994年シーズン後半戦から1995年シーズンまでの
登録名「カズ山本」の芸名でタレント活動する傍ら、
社会人野球クラブチームの福岡オーシャンズ9の監督を務めるなど多方面で活躍しています。
山本さんの波乱万丈のプロ野球人生は生まれたときからでした。
実は山本さんは先天性の難聴を抱えていました。
ただ、両親からは「相手の口の動きで覚えろって言われた」ということで、
常に前向きな性格はこの言葉から築かれていったようです。
北九州市立戸畑商業高校(現在の北九州市立高校)を経て、
1976年ドラフト5位で近鉄バファローズに投手として入団。
高校1年生のときに単位が足りず留年した事で、20歳になる年に入団となりました。
ただ、投手として入団した1年目のキャンプに早くも試練が訪れます。
当時近鉄のコーチだった仰木彬さんの部屋に忘れ物を届けに行ったところ、
泥酔していた仰木さんから突如「ピッチャークビや」と、野手へのコンバートを告げられます。
そこから来る日も来る日も打撃を磨き続け、入団4年目の春のキャンプでは好調を維持、
オープン戦で打撃ベスト5入りを果たし、見事開幕戦でスタメン出場を果たします。
しかし結果は3三振。
その後16打数凡退で5月10日の西武戦で松沼雅之さんから
ようやくプロ初安打となる初本塁打を放ちました。
ただ、この年二軍では3年連続で打率3割を記録するものの、
1軍では初本塁打以降結果を残せず、なんと5年目のオフに戦力外通告を受けてしまいます。
プロ選手を引退して福岡への帰郷も決意していた山本さんですが、
思わぬ形で救世主が現れます。
それが近鉄の同期入団だった久保康生さん。
久保さんに引き留められ大阪に残ると、その久保さんから紹介されたのが
「キンキクレスコ・池田バッティングセンター」でのアルバイトです。
なんと元プロ野球選手となった山本さんはこのバッティングセンターでアルバイトの傍ら、
練習を積み重ねる毎日を送ります。
すると、その話を聞きつけた当時南海ホークス監督の穴吹義雄さんに誘われ
1983年、南海への入団が決まります。
実は山本さんが近鉄の二軍だった時代に、南海二軍監督をしていたのが穴吹さんで、
ウエスタン・リーグで対戦する山本の実力を高く評価していて、
山本さんが近鉄の選手だったにもかかわらずアドバイスまで与えていたほどでした。
そして、穴吹さんが南海一軍監督へ就任するタイミングで、
山本さんの近鉄戦力外がうまく重なり、
山本さんの南海への入団へとつながったということになります。
南海入団後は山本一義打撃コーチの指導と、過労で倒れて入院するほどの努力が実り、
近鉄から数えて8年目のシーズンとなる1984年、ついに右翼手のレギュラーを獲得。
7月14日の川崎球場でのロッテ戦では、元投手らしい自慢の強肩と正確な送球で、
1950年の2リーグ制以降では日本記録タイとなる1試合3補殺
(外野からのバックホームや、サードへの送球で走者をアウトにするプレー)を記録。
翌1985年5月23日、古巣近鉄戦では、あのバッティングセンターを紹介してくれた
恩人・久保康生さんと対戦、見事先制2ランを放ち、
その後の打席で満塁、ソロの3本塁打計7打点をマーク、
この年初めて130試合の全試合フル出場を果たしました。
そして、近鉄入団から10年目の1986年にはついにオールスターゲームに監督推薦で出場、
ゴールデングラブ賞を受賞します。
その後、南海ホークス・福岡ダイエーホークスで門田博光さん、
佐々木誠さんら強打者と共に主力選手として活躍、タイトル獲得とまではいきませんでしたが、
常に3割前後の打率と20本ほどの本塁打を記録するなど類い稀な勝負強さを発揮しました。
南海がダイエーに身売りした1989年の福岡移転以降は、
数少ない地元福岡県出身の選手ということもあって、チーム随一の人気選手となっていきます。
また、1994年シーズン途中の5月中旬、長年その顔つきから
ドラキュラを略した「ドラ」と呼ばれていた自らのニックネームについて
「学校で子どもがいじめられる」という理由で球団に登録名の変更を申請、
約2か月後の7月25日の試合から登録名をカズ山本に変更し、
この年日本で初めて200安打を記録したイチローさんに次ぐ打率リーグ2位となる、
キャリアハイの打率.317の成績をマーク、この年の契約更改では年俸2億円の大台に到達しました。
しかし翌1995年、開幕早々左翼手でのプレー中に右肩を亜脱臼し、戦線離脱。
ホークス移籍後最低の46試合の出場、打率.201、本塁打0に終わります。
すると38歳という年齢や2億円を超えていた年俸が原因で、
事実上の戦力外通告を受け、自由契約となってしまいます。
ただ、その山本さんに救いの手を差し伸べてくれたのがプロ入りした時の球団、近鉄でした。
1996年に入団テストを受けると、当時の先輩でもあった佐々木恭介監督に
「あいつは若手の手本になる」と言われ、古巣・近鉄への移籍が決まります。
すると、西武ライオンズとの開幕第2戦、1点リードの8回に代打として古巣復帰後初出場、
当時のライオンズのエース西口文也さんから見事に代打本塁打を放ち、
華々しい移籍デビューを飾ります。
これを機に近鉄でも欠かせぬ存在となり、この年初めてファン投票でオールスターに選出、
すると古巣の福岡ドームで行われた試合で決勝ホームランを放ちMVP。
試合後お立ち台に上がった山本さんは、
昨年までプレーしていた福岡ドームでのホームランについて聞かれると
「まさか打てると思ってもいませんでしたし、まぐれですよ」
と涙ながらにこたえるシーンもありました。
その後もDHや代打として、近鉄で出場を重ねますが、
1999年、シーズンを通して一軍へ昇格することなく、
球団側は42歳の山本さんに自由契約での引退を勧めます。
しかし、山本さんは現役続行を宣言します。
9月30日、一軍に初昇格し福岡ドームでの対ダイエー戦に指名打者で先発出場します。
これは事実上の近鉄退団前の花道という意味合いで、
これを知っていた満員の古巣ダイエーファンからは「山本コール」の大合唱が起こり、
南海時代から使われている応援歌が
ダイエー応援団の集まるライトスタンドからも流れるという状況へと変わっていきます。
そして、試合は4-4,同点のまま9回二死走者なしで山本さんの最終打席を迎えます。
カウント3ボールからの4球目を振りぬいた打球は右翼席へ、
なんと退団の花道となる試合での決勝ホームランを放ちます。
両チームのファンからの大声援に思わずヘルメットを脱ぎ両手を高々と上げて
360度を見渡すようにしながらダイヤモンドを回った山本さん。
試合後、決まっていたダイエーの優勝セレモニーの前に、山本さんが登場。
ファンの声援に応え場内を一周するという場面となりました。
いかにファンに愛されていたかという光景ですが、
これを見て本人も「これ以上の感動を与えるプレーは、無理だろう」
と固辞していた現役引退を決めました。
2度にわたり所属球団から戦力外通告を受けながらも、
その行動を見ていた恩人に拾われた野球人生で放った通算安打は1400、175本塁打、
通算打率.283。波乱万丈のプロ野球人生に幕を下ろしました。
現役引退後は福岡県飯塚市・北九州市小倉北区のバッティングセンターで
地元の子供たちを対象に毎月2回程度野球教室も行っているそうで、
応援してくれた子供たちと浪人中だった自分を支えてくれた
バッティングセンターへの恩返し活動も行っているようです。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 苦難の人生 カズ山本 」
プロ野球はオフシーズンに入り「戦力外通告」や「引退」のニュースが
飛び交う季節となりました。
そんなアスリート人生の最後に感動を届けてくれた元プロ野球選手が、
かつて近鉄、南海、ダイエーなどで活躍した
今日66歳のお誕生日の山本こと山本和範さんです。
1957年10月18日福岡県小倉市、(現在の北九州市小倉北区)出身、
元プロ野球選手で外野手として主に活躍された方です。
現在は吉本興業スポーツ部に所属し、1994年シーズン後半戦から1995年シーズンまでの
登録名「カズ山本」の芸名でタレント活動する傍ら、
社会人野球クラブチームの福岡オーシャンズ9の監督を務めるなど多方面で活躍しています。
山本さんの波乱万丈のプロ野球人生は生まれたときからでした。
実は山本さんは先天性の難聴を抱えていました。
ただ、両親からは「相手の口の動きで覚えろって言われた」ということで、
常に前向きな性格はこの言葉から築かれていったようです。
北九州市立戸畑商業高校(現在の北九州市立高校)を経て、
1976年ドラフト5位で近鉄バファローズに投手として入団。
高校1年生のときに単位が足りず留年した事で、20歳になる年に入団となりました。
ただ、投手として入団した1年目のキャンプに早くも試練が訪れます。
当時近鉄のコーチだった仰木彬さんの部屋に忘れ物を届けに行ったところ、
泥酔していた仰木さんから突如「ピッチャークビや」と、野手へのコンバートを告げられます。
そこから来る日も来る日も打撃を磨き続け、入団4年目の春のキャンプでは好調を維持、
オープン戦で打撃ベスト5入りを果たし、見事開幕戦でスタメン出場を果たします。
しかし結果は3三振。
その後16打数凡退で5月10日の西武戦で松沼雅之さんから
ようやくプロ初安打となる初本塁打を放ちました。
ただ、この年二軍では3年連続で打率3割を記録するものの、
1軍では初本塁打以降結果を残せず、なんと5年目のオフに戦力外通告を受けてしまいます。
プロ選手を引退して福岡への帰郷も決意していた山本さんですが、
思わぬ形で救世主が現れます。
それが近鉄の同期入団だった久保康生さん。
久保さんに引き留められ大阪に残ると、その久保さんから紹介されたのが
「キンキクレスコ・池田バッティングセンター」でのアルバイトです。
なんと元プロ野球選手となった山本さんはこのバッティングセンターでアルバイトの傍ら、
練習を積み重ねる毎日を送ります。
すると、その話を聞きつけた当時南海ホークス監督の穴吹義雄さんに誘われ
1983年、南海への入団が決まります。
実は山本さんが近鉄の二軍だった時代に、南海二軍監督をしていたのが穴吹さんで、
ウエスタン・リーグで対戦する山本の実力を高く評価していて、
山本さんが近鉄の選手だったにもかかわらずアドバイスまで与えていたほどでした。
そして、穴吹さんが南海一軍監督へ就任するタイミングで、
山本さんの近鉄戦力外がうまく重なり、
山本さんの南海への入団へとつながったということになります。
南海入団後は山本一義打撃コーチの指導と、過労で倒れて入院するほどの努力が実り、
近鉄から数えて8年目のシーズンとなる1984年、ついに右翼手のレギュラーを獲得。
7月14日の川崎球場でのロッテ戦では、元投手らしい自慢の強肩と正確な送球で、
1950年の2リーグ制以降では日本記録タイとなる1試合3補殺
(外野からのバックホームや、サードへの送球で走者をアウトにするプレー)を記録。
翌1985年5月23日、古巣近鉄戦では、あのバッティングセンターを紹介してくれた
恩人・久保康生さんと対戦、見事先制2ランを放ち、
その後の打席で満塁、ソロの3本塁打計7打点をマーク、
この年初めて130試合の全試合フル出場を果たしました。
そして、近鉄入団から10年目の1986年にはついにオールスターゲームに監督推薦で出場、
ゴールデングラブ賞を受賞します。
その後、南海ホークス・福岡ダイエーホークスで門田博光さん、
佐々木誠さんら強打者と共に主力選手として活躍、タイトル獲得とまではいきませんでしたが、
常に3割前後の打率と20本ほどの本塁打を記録するなど類い稀な勝負強さを発揮しました。
南海がダイエーに身売りした1989年の福岡移転以降は、
数少ない地元福岡県出身の選手ということもあって、チーム随一の人気選手となっていきます。
また、1994年シーズン途中の5月中旬、長年その顔つきから
ドラキュラを略した「ドラ」と呼ばれていた自らのニックネームについて
「学校で子どもがいじめられる」という理由で球団に登録名の変更を申請、
約2か月後の7月25日の試合から登録名をカズ山本に変更し、
この年日本で初めて200安打を記録したイチローさんに次ぐ打率リーグ2位となる、
キャリアハイの打率.317の成績をマーク、この年の契約更改では年俸2億円の大台に到達しました。
しかし翌1995年、開幕早々左翼手でのプレー中に右肩を亜脱臼し、戦線離脱。
ホークス移籍後最低の46試合の出場、打率.201、本塁打0に終わります。
すると38歳という年齢や2億円を超えていた年俸が原因で、
事実上の戦力外通告を受け、自由契約となってしまいます。
ただ、その山本さんに救いの手を差し伸べてくれたのがプロ入りした時の球団、近鉄でした。
1996年に入団テストを受けると、当時の先輩でもあった佐々木恭介監督に
「あいつは若手の手本になる」と言われ、古巣・近鉄への移籍が決まります。
すると、西武ライオンズとの開幕第2戦、1点リードの8回に代打として古巣復帰後初出場、
当時のライオンズのエース西口文也さんから見事に代打本塁打を放ち、
華々しい移籍デビューを飾ります。
これを機に近鉄でも欠かせぬ存在となり、この年初めてファン投票でオールスターに選出、
すると古巣の福岡ドームで行われた試合で決勝ホームランを放ちMVP。
試合後お立ち台に上がった山本さんは、
昨年までプレーしていた福岡ドームでのホームランについて聞かれると
「まさか打てると思ってもいませんでしたし、まぐれですよ」
と涙ながらにこたえるシーンもありました。
その後もDHや代打として、近鉄で出場を重ねますが、
1999年、シーズンを通して一軍へ昇格することなく、
球団側は42歳の山本さんに自由契約での引退を勧めます。
しかし、山本さんは現役続行を宣言します。
9月30日、一軍に初昇格し福岡ドームでの対ダイエー戦に指名打者で先発出場します。
これは事実上の近鉄退団前の花道という意味合いで、
これを知っていた満員の古巣ダイエーファンからは「山本コール」の大合唱が起こり、
南海時代から使われている応援歌が
ダイエー応援団の集まるライトスタンドからも流れるという状況へと変わっていきます。
そして、試合は4-4,同点のまま9回二死走者なしで山本さんの最終打席を迎えます。
カウント3ボールからの4球目を振りぬいた打球は右翼席へ、
なんと退団の花道となる試合での決勝ホームランを放ちます。
両チームのファンからの大声援に思わずヘルメットを脱ぎ両手を高々と上げて
360度を見渡すようにしながらダイヤモンドを回った山本さん。
試合後、決まっていたダイエーの優勝セレモニーの前に、山本さんが登場。
ファンの声援に応え場内を一周するという場面となりました。
いかにファンに愛されていたかという光景ですが、
これを見て本人も「これ以上の感動を与えるプレーは、無理だろう」
と固辞していた現役引退を決めました。
2度にわたり所属球団から戦力外通告を受けながらも、
その行動を見ていた恩人に拾われた野球人生で放った通算安打は1400、175本塁打、
通算打率.283。波乱万丈のプロ野球人生に幕を下ろしました。
現役引退後は福岡県飯塚市・北九州市小倉北区のバッティングセンターで
地元の子供たちを対象に毎月2回程度野球教室も行っているそうで、
応援してくれた子供たちと浪人中だった自分を支えてくれた
バッティングセンターへの恩返し活動も行っているようです。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立」
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!
火曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
10月は毎週おひとりに『あやほのか』ついにプレゼント!!
新米「あやほのか」企画
去年は上田さんと油野ANが収穫した、深川市旭農場さんの新米を
「あやすみほ」と銘打って、秋にリスナープレゼントいたしました。
2023年は「あやほのか」(上田あやと庭野ほのかAN)と名前も新たに、
お米の田植えから収穫までチャレンジしようじゃないかという企画です!
(今回のお米の品種は「おぼろづき」です)
先月、庭野ANと上田さんで稲刈りして来ました!
深川市旭農場さんの新米おぼろづき『あやほのか』5キロを
10月毎週お一人の方にプレゼントいたします!!
※毎週金曜日に当選者発表します。11月3日(金)がラストで、トータル5名様!
ぜひ10月はあさミミ、どのような形でご参加いただいてもかまいません!
全ての方が当選対象です。たくさんのご参加お待ちしています!
「あさミミ!家庭菜園企画」
「サッポロさとらんど」の市民農園で
番組用の畑と、上田あやさん個人の畑の二つを借用中。
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
この夏は「ラディッシュ(はつか大根)」の収穫に成功、
さらに秋の味覚・じゃがいも「きたあかり」収穫にも成功し、
リスナープレゼントさせていただきました!
残るはさつまいも・・・果たしてどうなるのか?!ご期待ください!
ぜひ皆さんからの家庭菜園レポートもお待ちしています!
あなたの畑の情報ぜひ教えてください!
メール asamimi@stv.jp はもちろん、
ツイッターで #あさミミ家庭菜園 をつけてぜひつぶやいてください!
-
ペーパードライバー庭野ほのかが刈る!
-
上田あや&庭野ほのかが2台同時稲刈り!
-
立派に育った「あやほのか」!