今朝の放送内容 12月6日(水)
2023年12月6日(水)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●トラックのタイヤ脱落 対向車線の別のトラックに衝突 小樽市
●札幌市豊平区のアパートで火事 けが人なし
●ホテル駐車場で現金奪った男 車内に売上金があると知っていたか 帯広市
●五輪談合事件裁判 電通側、本大会の運営業務など争う姿勢
●猛威振るうインフルエンザ 北海道で警報レベル続く
●鳥インフルで厳戒態勢 国の特別天然記念物タンチョウの生息数調査 鶴居村
●コロナ感染“搬送されず男性死亡” 遺族が国や千葉県、船橋市を提訴
●少子化対策支援パッケージ案 高校生年代を持つどの家庭も今より手取り増へ
●道開発計画 2年前倒し来年度から 脱炭素、半導体に力
●国際学力調査 15歳の読解力で日本3位 科学、数学も上昇
●明治、中標津に新工場 別海から移管
●赤れんが庁舎で全道の名所紹介 25年度公開へ展示案
●鹿児島・屋久島沖オスプレイ墜落事故、米軍が乗組員8人全員の死亡を認定
●ファイターズ契約更改 伊藤大海投手が1億円超 万波中正選手は8000万円
●コンサドーレ GK大谷幸輝選手が契約満了で退団
●レバンガ きょうホームで仙台戦 STVラジオで中継
●アイスホッケー全日本選手権あす開幕 北海道ワイルズ「強さ見せる」
●大谷翔平選手 移籍先決定が長引く可能性「クリスマスまでかかるのでは」
大谷翔平選手 ”本命”ドジャース監督と面会していた 監督「うまくいったと思う」
●今年のJリーグMVPに神戸・大迫勇也選手 得点王とのダブル受賞
●札幌市豊平区のアパートで火事 けが人なし
●ホテル駐車場で現金奪った男 車内に売上金があると知っていたか 帯広市
●五輪談合事件裁判 電通側、本大会の運営業務など争う姿勢
●猛威振るうインフルエンザ 北海道で警報レベル続く
●鳥インフルで厳戒態勢 国の特別天然記念物タンチョウの生息数調査 鶴居村
●コロナ感染“搬送されず男性死亡” 遺族が国や千葉県、船橋市を提訴
●少子化対策支援パッケージ案 高校生年代を持つどの家庭も今より手取り増へ
●道開発計画 2年前倒し来年度から 脱炭素、半導体に力
●国際学力調査 15歳の読解力で日本3位 科学、数学も上昇
●明治、中標津に新工場 別海から移管
●赤れんが庁舎で全道の名所紹介 25年度公開へ展示案
●鹿児島・屋久島沖オスプレイ墜落事故、米軍が乗組員8人全員の死亡を認定
●ファイターズ契約更改 伊藤大海投手が1億円超 万波中正選手は8000万円
●コンサドーレ GK大谷幸輝選手が契約満了で退団
●レバンガ きょうホームで仙台戦 STVラジオで中継
●アイスホッケー全日本選手権あす開幕 北海道ワイルズ「強さ見せる」
●大谷翔平選手 移籍先決定が長引く可能性「クリスマスまでかかるのでは」
大谷翔平選手 ”本命”ドジャース監督と面会していた 監督「うまくいったと思う」
●今年のJリーグMVPに神戸・大迫勇也選手 得点王とのダブル受賞
今朝の選曲
【6時台】
M「虹を追いかけて/岡村孝子」
M「ワンダフルワールド/ゆず」
M「虹を追いかけて/岡村孝子」
M「ワンダフルワールド/ゆず」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 1990年のスポーツを振り返る 」
平成2年、1990年のスポーツ界はどんな一年だったのでしょうか。
1月20日 - 国際陸上競技連盟、男子100メートル競走の世界記録について、
ベン・ジョンソンの9秒83を抹消し、カール・ルイスの9秒92にすると発表。
これは世界中のスポーツ界に衝撃が走った出来事でした。
事態は1988年にまでさかのぼります。
1988年夏のオリンピックは韓国ソウルで行われました。
その中で最も注目度が高かったのが、前回(1984年)のロサンゼルスオリンピックで
男子陸上100m、200m、4×100mリレー、走り幅跳びの陸上4競技で金メダルを獲得した
アメリカ代表のカール・ルイス。対して、1987年世界陸上ローマ大会100メートルで、
そのカール・ルイスを破り、9秒83の世界新記録で
金メダルを獲得したカナダ代表のベン・ジョンソンの対決でした。
大方の予想通り9/24の決勝は二人が出場する大注目のレースとなりました。
号砲が鳴り響くと一気に弾丸スタートを決めたベン・ジョンソンが後半も失速することなくゴール!
タイムも自身の世界記録を塗り替える9秒79の世界新記録で金メダルを獲得!
ところが、レース後に筋肉増強剤の使用が発覚し、
メダルと選手資格をはく奪されるという事態になり、
さらに、記録に関しても世界陸上ローマ大会までさかのぼって取り消されることになりました。
これが、この日の裁定だったというわけです。
そして、その代わりとして、ベン・ジョンソンに敗れながら
自己最高記録を出した9秒92が世界記録に認められたという出来事でした。
続いては3月17日 - 横綱千代の富士、大相撲史上初の通算1000勝達成。
千代の富士は福島町出身の道産子力士で、数々の記録を打ちたてた大横綱です。
1981年に、同一年中に関脇・大関・横綱の3つの地位で優勝するという
史上初の記録を達成するなど、「ウルフフィーバー」を巻き起こした
千代の富士は30代に入っても衰えることを知らず、
33歳になる年の1988年5月場所7日目から11月場所14日目まで53連勝を記録、
34歳の1989年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し
大相撲で初となる「国民栄誉賞」授与も決定。
そして迎えたのが35歳になる年の1990年3月17日、3月場所7日目の花ノ国戦。
この取り組みに見事勝利し達成したのが大相撲前人未到、通算1000勝でした。
6月11日 - 米大リーグのノーラン・ライアン、史上最多、最年長の通算6度目、
43歳でのノーヒット・ノーラン達成。
メジャー通算324勝の殿堂入り投手で、奪三振5714は未だ破られていない記録です。
左足を大きく高く上げる独特のフォームでメジャー記録となる実働27年と、
長く活躍した選手です。
彼の特長はギネスにも認定された最速162.4㎞/hの直球。
所属した4球団のうちエンゼルス、アストロズ、レンジャーズの3球団で
当時の背番号が永久欠番になっているという名プレーヤーでした。
そのライアンが当時の最年長及び最多記録である6度目のノーヒット・ノーランを記録したのが
1990年6月11日、対オークランド・アスレチックス戦でした。
しかも、所属3球団での達成は史上初というおまけ付きのすごい記録でした。
ただ、この43歳でのノーヒット・ノーランも大変素晴らしい記録ですが、
なんと翌年の1991年5月1日、対トロント・ブルージェイズ戦でも
7度目のノーヒット・ノーランを達成。
この時44歳3か月!もちろんこの記録は史上最多であり
史上最も高齢で達成したノーヒット・ノーランということになります。
そして、この年はテニス界にとっても記録ずくめの年となりました。
7月7日 - マルチナ・ナブラチロワ、ウィンブルドン選手権で3年ぶり9度目の優勝。
52年ぶりに大会史上最多優勝記録を更新。
ナブラチロワは、チェコスロバキア、プラハ出身の元女子プロテニス選手で、
このウインブルドン9度の優勝もそうなんですが、
WTAツアーの最多優勝記録(シングルス167勝、ダブルス177勝)など、
数々の歴史的な記録を樹立した名選手で、4大大会シングルス通算18勝も
女子歴代4位タイ記録という名プレーヤーでした。
更に9月9日 – 男子テニスではピート・サンプラスが全米オープンで
「19歳28日」の大会最年少優勝記録を樹立。
100年ぶりの記録更新を果たしました。
このピート・サンプラスもテニス界の歴史に名を残す名プレーヤーでした。
4大大会優勝数14回は現在歴代4位。
ウィンブルドン選手権優勝7回は歴代2位タイの記録、
全米オープン優勝5回はオープン化以降歴代1位タイ記録。
1993年から1998年まで年間最終ランキング1位6年連続は歴代1位を記録しているという選手。
この年は男女ともテニス史に刻まれる年となりました。
そして、オリンピック史において大きな改革が行われたのもこの年でした。
それが・・9月19日 - IOC総会、オリンピック憲章改定案を採択、プロ・アマオープン化です。
かつてオリンピック憲章では「参加はアマチュア選手に限る」という決まりがあり、
プロ選手はオリンピックには参加できませんでした。
ここでの「プロ」とは「スポーツでお金を稼いでいる人」を指し、
「参加する栄誉が一番の報酬」という考えがあるオリンピックには
相応しくないと考えられていました。
ただ、徐々にトップ選手のプロ化や見ている観客から「プロ同士の最高峰の戦いが見たい」
との声も高まり、オリンピックのプロ参加が認められるようになりました。
この流れで最初に大々的なプロ参加が行われたと言えば
1992年のバルセロナオリンピック、男子バスケットボールではないでしょうか。
アメリカ代表は出場12選手のうち11選手がNBA選手という「ドリームチーム」を結成し、
圧倒的な強さで金メダルを獲得。
このとき目の前でその強さを見せつけられたスペインのバスケ少年たちが切磋琢磨したおかげで、
その後スペインはFIBAランキングでアメリカと1位2位を競う実力をつけたともいわれています。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 1990年のスポーツを振り返る 」
平成2年、1990年のスポーツ界はどんな一年だったのでしょうか。
1月20日 - 国際陸上競技連盟、男子100メートル競走の世界記録について、
ベン・ジョンソンの9秒83を抹消し、カール・ルイスの9秒92にすると発表。
これは世界中のスポーツ界に衝撃が走った出来事でした。
事態は1988年にまでさかのぼります。
1988年夏のオリンピックは韓国ソウルで行われました。
その中で最も注目度が高かったのが、前回(1984年)のロサンゼルスオリンピックで
男子陸上100m、200m、4×100mリレー、走り幅跳びの陸上4競技で金メダルを獲得した
アメリカ代表のカール・ルイス。対して、1987年世界陸上ローマ大会100メートルで、
そのカール・ルイスを破り、9秒83の世界新記録で
金メダルを獲得したカナダ代表のベン・ジョンソンの対決でした。
大方の予想通り9/24の決勝は二人が出場する大注目のレースとなりました。
号砲が鳴り響くと一気に弾丸スタートを決めたベン・ジョンソンが後半も失速することなくゴール!
タイムも自身の世界記録を塗り替える9秒79の世界新記録で金メダルを獲得!
ところが、レース後に筋肉増強剤の使用が発覚し、
メダルと選手資格をはく奪されるという事態になり、
さらに、記録に関しても世界陸上ローマ大会までさかのぼって取り消されることになりました。
これが、この日の裁定だったというわけです。
そして、その代わりとして、ベン・ジョンソンに敗れながら
自己最高記録を出した9秒92が世界記録に認められたという出来事でした。
続いては3月17日 - 横綱千代の富士、大相撲史上初の通算1000勝達成。
千代の富士は福島町出身の道産子力士で、数々の記録を打ちたてた大横綱です。
1981年に、同一年中に関脇・大関・横綱の3つの地位で優勝するという
史上初の記録を達成するなど、「ウルフフィーバー」を巻き起こした
千代の富士は30代に入っても衰えることを知らず、
33歳になる年の1988年5月場所7日目から11月場所14日目まで53連勝を記録、
34歳の1989年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し
大相撲で初となる「国民栄誉賞」授与も決定。
そして迎えたのが35歳になる年の1990年3月17日、3月場所7日目の花ノ国戦。
この取り組みに見事勝利し達成したのが大相撲前人未到、通算1000勝でした。
6月11日 - 米大リーグのノーラン・ライアン、史上最多、最年長の通算6度目、
43歳でのノーヒット・ノーラン達成。
メジャー通算324勝の殿堂入り投手で、奪三振5714は未だ破られていない記録です。
左足を大きく高く上げる独特のフォームでメジャー記録となる実働27年と、
長く活躍した選手です。
彼の特長はギネスにも認定された最速162.4㎞/hの直球。
所属した4球団のうちエンゼルス、アストロズ、レンジャーズの3球団で
当時の背番号が永久欠番になっているという名プレーヤーでした。
そのライアンが当時の最年長及び最多記録である6度目のノーヒット・ノーランを記録したのが
1990年6月11日、対オークランド・アスレチックス戦でした。
しかも、所属3球団での達成は史上初というおまけ付きのすごい記録でした。
ただ、この43歳でのノーヒット・ノーランも大変素晴らしい記録ですが、
なんと翌年の1991年5月1日、対トロント・ブルージェイズ戦でも
7度目のノーヒット・ノーランを達成。
この時44歳3か月!もちろんこの記録は史上最多であり
史上最も高齢で達成したノーヒット・ノーランということになります。
そして、この年はテニス界にとっても記録ずくめの年となりました。
7月7日 - マルチナ・ナブラチロワ、ウィンブルドン選手権で3年ぶり9度目の優勝。
52年ぶりに大会史上最多優勝記録を更新。
ナブラチロワは、チェコスロバキア、プラハ出身の元女子プロテニス選手で、
このウインブルドン9度の優勝もそうなんですが、
WTAツアーの最多優勝記録(シングルス167勝、ダブルス177勝)など、
数々の歴史的な記録を樹立した名選手で、4大大会シングルス通算18勝も
女子歴代4位タイ記録という名プレーヤーでした。
更に9月9日 – 男子テニスではピート・サンプラスが全米オープンで
「19歳28日」の大会最年少優勝記録を樹立。
100年ぶりの記録更新を果たしました。
このピート・サンプラスもテニス界の歴史に名を残す名プレーヤーでした。
4大大会優勝数14回は現在歴代4位。
ウィンブルドン選手権優勝7回は歴代2位タイの記録、
全米オープン優勝5回はオープン化以降歴代1位タイ記録。
1993年から1998年まで年間最終ランキング1位6年連続は歴代1位を記録しているという選手。
この年は男女ともテニス史に刻まれる年となりました。
そして、オリンピック史において大きな改革が行われたのもこの年でした。
それが・・9月19日 - IOC総会、オリンピック憲章改定案を採択、プロ・アマオープン化です。
かつてオリンピック憲章では「参加はアマチュア選手に限る」という決まりがあり、
プロ選手はオリンピックには参加できませんでした。
ここでの「プロ」とは「スポーツでお金を稼いでいる人」を指し、
「参加する栄誉が一番の報酬」という考えがあるオリンピックには
相応しくないと考えられていました。
ただ、徐々にトップ選手のプロ化や見ている観客から「プロ同士の最高峰の戦いが見たい」
との声も高まり、オリンピックのプロ参加が認められるようになりました。
この流れで最初に大々的なプロ参加が行われたと言えば
1992年のバルセロナオリンピック、男子バスケットボールではないでしょうか。
アメリカ代表は出場12選手のうち11選手がNBA選手という「ドリームチーム」を結成し、
圧倒的な強さで金メダルを獲得。
このとき目の前でその強さを見せつけられたスペインのバスケ少年たちが切磋琢磨したおかげで、
その後スペインはFIBAランキングでアメリカと1位2位を競う実力をつけたともいわれています。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立」
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!
火曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!